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【価格改定のご連絡】

原材料費の高騰に伴い、いくつかのブランドがまもなく値上がりいたします。ご検討中の方はぜひご注文くださいませ。

SIWA | 紙和
https://www.shokunin.com/jp/siwa/
FUTAGAMI
https://www.shokunin.com/jp/futagami/
能作
https://www.shokunin.com/jp/nousaku/
fresco
https://www.shokunin.com/jp/fresco/kasumibowl.html


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【再入荷のお知らせ】

いくつかの欠品商品が再入荷いたしました。ぜひご覧くださいませ。

山一 中華せいろ
https://www.shokunin.com/jp/yamaichi/seiro.html
松山陶工場 煮込み鍋
https://www.shokunin.com/jp/matsuyama/pot.html
わたなべ木工芸 茶盆
https://www.shokunin.com/jp/watanabe/chabon.html


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【世界が絶賛、日本のTAMAGO SANDO】

日本に到着してすぐにコンビニへ向かい、“それ”を買い求める――昨今、訪日外国人に「これのためだけに、もう一度日本に戻りたい」と言わしめるほどの人気を誇るのが、日本のコンビニのたまごサンド。実は、日本語の発音そのままに「TAMAGO SANDO」として広く認知されています。そのブームを象徴するように、最近ではファミリーマートのたまごサンドに「ファミチキ」を挟んで食べる「親子サンド」という思いがけない組み合わせまで登場し、大きな話題を集めました。これほど質の高い味が、日本国内ではわずか290円前後(約1.80ドル)という非常にお手軽な価格で手に入ることも、観光客の心をとらえる大きな一因になっています。

この「TAMAGO SANDO」に対する海外での高い評価は、今に始まったことではありません。かつては有名シェフの故アンソニー・ボーディン氏が、ローソンのたまごサンドを「異常なくらいやわらかく、とてつもなく中毒性がある」と絶賛したことをきっかけに、アメリカでもその存在が広く知られるようになりました。現在も多くのインフルエンサーが「人生が変わるぐらいにおいしい」「舌でとろける」とこぞって投稿。この人気を受け、米国セブン-イレブンでも日本のたまごサンドにインスパイアされた「和風エッグサラダサンド」が発売されました。しかし、現地の物価高の影響もあり価格は5.99ドル(約950円)と高価!!購入に少し勇気がいる価格設定となっています。海外において、日本のたまごサンドはまさにプレミアムな価値を持つ存在なのかもしれません。

SNSを覗いてみると、海外で「日本風たまごサンド」の再現に挑戦する人が増えています。日本の大手コンビニのたまごサンドの最大の特徴は、食パンがふわふわであること、たまごフィリングがなめらかであること、そして、ほんの少し甘みがあることです。これを家庭で再現するためには、いくつかのコツがあります。まず、卵は水から12分20秒きっちりとゆでること。そして、食感を絶妙に残すため、白身は包丁で5~6mm角に刻み、黄身はフォークでつぶします。味付けにはマヨネーズ、塩、砂糖を使用しますが、ここへ隠し味として酢と少量の牛乳を加えることが、なめらかな質感とまろやかな甘みを出すための重要なポイントです。また、「キューピーマヨネーズ」を使うと、日本の味にぐっと近づきます。

さらに、職人の手仕事で作られた「本物の道具」を掛け合わせることで、ハイクオリティーなたまごサンドを自宅で楽しむことができます。たっぷりと作ったたまごフィリングを、柔らかいパンの四隅まで均等に美しく敷き詰めるには、ヤマサキデザインワークスの「サンドウィッチガイド」が欠かせません。卵3つで作ったたまごサンドは、食パンからフィリングがこぼれ落ちるほど贅沢。自宅にいながらにしてこの上ない幸せを味わえます。

そして、仕上げのカットには、庖丁工房タダフサの「基本の3本 パン切り」が本領を発揮します。先端の波刃で滑りやすいパンの表面にきっかけを作り、中央の平刃ですっと引く独特の切れ味は、日本の食パン特有のふわふわな柔らかさを決してつぶしません。たまごフィリングごと美しい断面にスパッと切ることができます。出来上がったサンドイッチは、もやい工藝の「ケヤキのパン皿」にのせてみてください。美しい国産ケヤキの木目がパンのおいしさを引き立て、日本の丁寧な食文化まで五感で体験することができます。

職人の道具と共に楽しむ格別な「TAMAGO SANDO」。ぜひご自宅でお試しくださいませ。

たまごサンド(2人分)

[材料]
食パン(10枚切り) 2枚
卵 3個
○マヨネーズ 大さじ3
○砂糖 小さじ1/2
○塩 ひとつまみ
酢 小さじ1/2
牛乳(お好みで) 小さじ1/2~1

[作り方]
1. 鍋に水と卵を入れて火にかけ、12分20秒ゆでる。沸騰したら弱火にする。
2. ゆで上がったらすぐに氷水に取ってしっかりと冷まし、殻を剥く。
3. 卵を白身と黄身に分け、白身は、包丁で5~6mm角の粗みじんに刻む。黄身はボウルに入れ、フォークを使ってつぶす。
4. 黄身のボウルに、○の材料を加え、よくなじむまで1分ほど混ぜ合わせる。
5. 酢と、お好みで牛乳を加えて均一に混ぜる。最後に刻んだ白身を加え、全体をさっくりと和え合わせる。
6. 食パンの上に、出来上がったたまごフィリングを均一に広げ、もう1枚の食パンで挟む。対角線上にカットして完成。

ヤマサキデザインワークス サンドウィッチガイド
https://www.shokunin.com/jp/yamasaki/sandwich.html
ヨシタ手工業デザイン室 レンゲスプーン
https://www.shokunin.com/jp/yoshita/cutlery.html
conte まかないボウル 130
https://www.shokunin.com/jp/conte/bowl.html
東屋 チーズボード 小
https://www.shokunin.com/jp/azmaya/cheeseboard.html
庖丁工房タダフサ 基本の3本 パン切り
https://www.shokunin.com/jp/tadafusa/houchou.html
もやい工藝 ケヤキのパン皿
https://www.shokunin.com/jp/moyai/

参考資料
https://diamond.jp/articles/-/382093
https://news.yahoo.co.jp/articles/a3f7c858c1ac
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/bfd74ee8eb40e
https://www.nichireifoods.co.jp/media/10421/ (参考レシピ)
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/42e61cca5 (参考レシピ)


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【パラオのスパムむすび】

連休に訪れたパラオ。現地のローカルフードとして大人気なのが、ランチョンミートのスパムを使った「スパムむすび」です。コンビニや小さな売店、商店などで購入でき、人気のものは午前中で売り切れてしまうそう。お店ごとに味付けが異なり、ガイドブックに特集されたスパムむすびのページを眺めているだけでもそのこだわりが伝わってくるようです。コロール島中心部にある最大のスーパー「WCTCショッピング・センター」の缶詰コーナーに足を運ぶと、そこには日本では見たことがないほどの圧倒的なボリュームで、さまざまな種類のスパム缶が棚を埋め尽くしていました。アメリカ生まれのスパムと、日本の伝統的なおむすび。この出自の違う2つの食材が結びつき、なぜパラオでここまで深く根付いているのでしょうか。

スパム(SPAM®)は、1937年にアメリカのホーメルフーズ社によって発売されたランチョンミートの缶詰で、「豚肉、食塩、加工デンプン、砂糖、発色剤」という、いたってシンプルな5つの原材料から作られています。スパムという名前は、当時の副社長の兄弟であるケン・デニョー氏がブランドの命名コンテストで優勝し、賞金100ドルとともに命名者の栄誉を獲得しました。このスパムが太平洋諸国に広まるきっかけとなったのが、第二次世界大戦でした。当時、スパムは米軍の重要な携帯糧食(配給品)として採用され、前線となった太平洋地域へ大量に持ち込まれることになります。大戦後、米軍の物資の影響を強く受けたパラオなどの島々では、熱帯地域において常温で長期保存ができる貴重なタンパク源としてスパムが重宝され、そのまま現地の食文化の一部として定着していきました。

スパムが現地に定着したあと、それがおにぎりと合体して「スパムむすび」へと進化した背景には、この地域ならではの歴史的な土台がありました。パラオやハワイなどは、20世紀前半に日本の統治や日系移民の歴史を経た地域です。そのため、現地にはもともと「白米を食べる文化」や「おにぎり・海苔巻きに親しむ文化」が自然と根付いていました。日常的に米を食べる土台があったところへ、米軍がもたらしたスパムが組み合わさることで、日米の食文化が融合した「スパムむすび」が誕生。島々の間で人や文化が行き来するなかで、パラオでも手軽にエネルギーを補給できる日常食として、広く深く浸透していきました。パラオで親しまれているスパムむすびは、ボリューム満点でしっかりとした味付けが特徴です。醤油や砂糖、テリヤキソースなどで甘辛く味付けして香ばしく焼いたり、白米とふりかけがミックスされていたり。さらに、玉子焼きを一緒に挟み込むスタイルが多く見受けられ、1個でも十分に満足感のある、現地の定番の軽食として愛され続けています。

先日、近所のスーパーでもスパムを手に入れることができたので、早速、山一の押し寿司型と普通の白ご飯を使って、「スパムむすび風」を作ってみました。無塗装のヒノキでできた押し寿司型は、余分な水分を程よく吸収してくれるため、べたつかず、冷めてもふっくらとしたおいしいご飯になります。海苔は巻かずに一番上にトッピングする簡単なレシピですが、切り分けておにぎりのように持ち運ぶ場合は、細く切った海苔を一周してからラップなどに包むと、よりスパムむすびらしく見えるのでは。いつもの8等分ではなく、スパムの幅に合わせて4等分にしていますので、しっかりとしたボリュームをお楽しみいただけます。お弁当に、行楽に、みんなが集まるパーティーに、ぜひお試しください。

[材料]
スパム 1/2個
卵 1~2個(卵の大きさにより調整)
海苔 
めんつゆ 少々
白ご飯 適量

[作り方]
1. 海苔は幅3cmの縦長にカットし、足りない分は重ねて長さを合わせる。
2. 玉子焼鍋で、3つ折りの薄焼き玉子を2つ作る。
3. スパムを厚さ7mm程度にスライスする(4枚)。
4. 玉子焼鍋で両面を焼き、めんつゆ少々を絡める。
5. 薄焼き玉子とスパムを押し寿司型の幅に合わせてカットする(切れ端はチャーハンなどで利用)。
6. 白ご飯を押し寿司型に入れて押し、薄焼き玉子、スパムを入れて押す。
7. 最後に中央に海苔をのせ、海苔が落ち着いたら包丁でカットする。

山一 押し寿司型
https://www.shokunin.com/jp/yamaichi/oshi.html
HASAMI プレートミニ(※写真のものは廃番色)
https://www.shokunin.com/jp/hasami/plate.html

参考資料
地球の歩き方 リゾートスタイル R10 パラオ 2019-2020(地球の歩き方編集室)
https://www.spam-jp.com/what-is-spam/
https://ja.wikipedia.org/


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【蕎麦湯】

お蕎麦屋さんで食事の終盤に運ばれてくる「蕎麦湯」。まろやかな口当たりの蕎麦湯は単なるゆで汁ではなく、蕎麦の風味や成分が溶け出し、その栄養が凝縮されています。江戸時代の蕎麦屋でも、最後には蕎麦湯を提供する習慣がありました。食事の締めくくりとして蕎麦湯を飲むスタイルは、日本の粋な文化として現代にも受け継がれています。

元禄10年(1697年)に出版された、食物全般について書かれた『本朝食鑑』には、蕎麦をゆでたあとの湯を飲むという記述があり、今から300年以上前には、すでに蕎麦湯を飲んでいたことが分かります。

蕎麦湯を飲む習慣は、もともと信州などの蕎麦どころで始まったといわれています。江戸からの旅人が信州を訪れた際、食後すぐに蕎麦湯を出され、旅人がその理由を尋ねると、「蕎麦を食べたあとに蕎麦湯を飲むと消化に良い」と教えられ、その風習を「信濃風」として江戸へ持ち帰り紹介したことが、江戸っ子たちの間に広まるきっかけとなりました。

実は、技術が未発達だった当時の蕎麦は、硬い蕎麦殻が多く残ってしまい、消化不良でお腹を壊すことも少なくなかったそう。蕎麦には、体をつくるもとになる良質なたんぱく質や、疲労回復をサポートするビタミンB1、B2が豊富に含まれていますが、これらは水に溶け出しやすい性質を持っているため、ゆでる過程で多くが蕎麦湯の中へと移ってしまいます。つまり、蕎麦湯を飲むことは、蕎麦が持つ栄養を余すことなく取り入れるという、非常に理にかなった習慣でした。

蕎麦湯の楽しみ方は、人それぞれこだわりがあるかもしれません。まずは、残ったつゆに注いで、だしのうまみと蕎麦の香りの調和を楽しみます。お好みでわさびやねぎを少量足すと香りが引き立ちます。もし蕎麦湯が余ってしまったら、ぜひお料理に活用してみてください。蕎麦のうまみが溶け込んだお湯は、お味噌汁やスープのベースにもぴったりです。とろみが付くことで冷めにくくなり、いつもの汁物がより奥深い味わいになります。

そんな蕎麦湯の時間をさらに豊かにしてくれるのが、職人の手仕事による道具たちです。工房アイザワのストレートポットは、満水容量が約400ml。カップ約2杯分の蕎麦湯を入れて食卓へ出すのにちょうど良いサイズです。ステンレス製のすっきりとした佇まいは、和洋を問わず食卓になじみます。液だれしにくい注ぎ口は、最後まできれいに注げるのが嬉しいポイントです。また、青龍窯の蕎麦猪口は、手に持ったときに吸い付くような質感が魅力。両手で包むように持つと、じんわりと蕎麦湯の温かさが伝わってきて、寒い日はどことなくほっとします。

おいしい蕎麦を堪能したあとに、お気に入りの器でゆったりと蕎麦湯を味わう。そんなひとときを、日々の暮らしに取り入れてみてはいかがでしょうか?

工房アイザワ ストレートポット
https://www.shokunin.com/jp/aizawa/pot.html
青龍窯 蕎麦セット
https://www.shokunin.com/jp/seiryu/soba.html
栗久 曲げわっぱの蕎麦セット
https://www.shokunin.com/jp/kurikyu/soba.html
大寺幸八郎商店 かなまり 中 ※原材料費の高騰に伴い、近日中に値上がりいたします。ご検討中の方はぜひお早めにご注文くださいませ。
https://www.shokunin.com/jp/otera/kanamari.html
小石原焼 トビカンナ 小皿
https://www.shokunin.com/jp/koishiwara/

参考資料
https://www.nikkoku.co.jp/entertainment/sobajiten/007.php
https://www.nikkoku-shop.net/blog/column/2025/1629/
https://otaruiroha.com/?p=244


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【手作りの焼肉だれ】

昔、親戚のおばあさんが作ってくれた、手作りの焼肉だれ。ずっと前に食べたきりだったのですが、ふと「またあの味が食べたいな」と思い出しました。

ベースは醤油味。すりおろした玉ねぎやりんごがたっぷりと入っていて、にんにくがガツンと効いています。ピリッとした辛さの中にも絶妙な甘みがあり、白ごまがふんだんに使われているのが特徴でした。少しポテッとしたとろみがあって、フライパンで素焼きにした豚肉にかけるだけでも格別なおいしさになり、我が家の食卓はもちろん、夏のバーベキューでも大人気でした。そこで、インターネットで見つけた手作り焼肉だれのレシピをいくつか参考にしながら、記憶の味に近づくように自分なりに材料を調整して作ってみることにしました。

こだわったのは、道具とすりおろしの質感です。玉ねぎとりんごをすりおろすのには、ジャパンポーレックスの「セラミックおろし中」を使い、なめらかに仕上げます。おろしきれなかった玉ねぎは、包丁でみじん切りに。にんにくと生姜には、「セラミックおろし小」でより細かく。

すべての材料をすりおろしたら鍋に入れ、醤油などの調味料と合わせます。火にかけて煮立ったら弱火にし、じっくりと煮詰めていきました。出来上がった焼肉だれを少し味見してみると、嬉しいことに「あの味!」になんとなく近いような仕上がりに。粗熱が取れたら、小泉硝子製作所の腰高シャーレに入れて冷蔵庫へ。

ちょうど昼ご飯を食べ損ねてお腹が減っていたので、さっそくこのたれを使ってみることにしました。豚肉とねぎをフライパンで香ばしく焼き、できたてのたれをたっぷりと絡めて、贅沢などんぶりに。一口食べ、さらに上からたれを追いがけすると、にんにくや薬味の風味がさらに増して、箸が止まらないおいしさになりました。

手作りのたれは保存料を使っていないため、冷蔵庫に保存し、1週間ほどで使い切るのが目安です。作ったその日から使えますが、冷蔵庫で1~2日ほどじっくり寝かせると、にんにくや生姜の尖った角が取れ、すりおろし野菜とはちみつが全体になじんで、よりまろやかで奥深いコクが出てきます。味が育っていく変化を楽しめるのも、手作りならではの醍醐味です。

こうして出来上がった万能だれは、焼肉にはもちろん、オイルと酢を合わせれば味わい深いドレッシングにも変身します。さらに、これからの季節は薬味をのせた冷奴にかけて食べるのも相性が良さそうです。簡単に作れて幅広く活躍してくれますので、ぜひ皆さんも試してみてください。

[材料]
○玉ねぎ 1/4個
○りんご 1/4個
○にんにく 2~3かけ
○生姜 1かけ
醤油 50ml
みりん 50ml
酒 50ml
はちみつ 大さじ1
豆板醤 小さじ1/2~1(お好みの辛さで)
白ごま 大さじ1~1.5

[作り方]
1. ○の材料をすべてすりおろす。おろしきれなかった玉ねぎはみじん切りに。
2. 鍋に醤油、みりん、酒、はちみつ、豆板醤を入れ、すりおろした1をすべて加える。
3. 鍋を火にかけ、煮立ってきたら弱火にする。時々かき混ぜながら、弱火のまま6~8分ほどじっくりと煮詰める。水分が飛び、ポテッとしたとろみが出るまでが目安。
4. 好みのとろみになったら火を止め、白ごまを加え、全体を大きく混ぜ合わせて完成。

ジャパンポーレックス セラミックおろし
https://www.shokunin.com/jp/porlex/oroshi.html
中村銅器製作所 行平鍋 小
https://www.shokunin.com/jp/nakamuradouki/yukihira.html
conte やくさじ 15ml
https://www.shokunin.com/jp/conte/yakusaji.html
小泉硝子製作所 腰高シャーレ 90x90
https://www.shokunin.com/jp/koizumi/schale.html
一陽窯 麺鉢 16cm
https://www.shokunin.com/jp/ichiyou/menbachi.html


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【茶托、ソーサー、コースター】

湯呑みには茶托、カップにはソーサー、グラスにはコースターがつきものですね。それぞれに理由があり歴史があります。

「茶托(ちゃたく)」の「托」という漢字には、「手で支える」「下から押し上げる」「頼りにする」という意味があり、文字どおり「お茶を下から支えるもの」であることからこの名がつきました。

中国の唐の時代、ある高官の娘が熱い茶碗を持つのに苦労している父親のために、木製の輪を作って茶碗の底を支えて出したのが「托(たく)」の始まりという言い伝えがあります。もともとは中国の茶器文化の影響を受けて煎茶の広まりとともに広く浸透したもので、室町時代の「天目台」をルーツとし、江戸時代に煎茶が普及して茶碗が小型化したことで現在の姿に変化しました。熱い湯呑みによる火傷を防ぐだけでなく、飲み口に手を触れずに提供するという、和のしつらえや来客の作法と結びついた「おもてなし」の意味合いが強い道具です。

一方ソーサーは、17~18世紀のヨーロッパで、貴族たちの社交文化の中に紅茶が広まるにつれて定着しました。「ソーサー」という名前は本来、料理の「ソースを入れる小さな浅皿」だったことに由来します。初期のティーカップには取っ手のないものも多く、お茶を冷まして飲みやすくするために、家にあるソース皿にお茶を移して冷ましながら飲んでいました。のちにカップに取っ手が付くようになり、「こぼれ防止+スプーン置き+マナー」のためにセットとして残りました。

ちなみに、紅茶とコーヒーではカップの形状にも違いがあります。伝統あるヨーロッパの洋食器では、一般的にティーカップは紅茶を熱湯で淹れるため、早く冷まして香りやお茶の色を楽しめるよう、浅く口が広い形状に作られています。これに対して、コーヒーカップは冷めにくいようにやや縦長のデザインになっています。

もうひとつ、コースターはテーブルを水滴や熱から守るために発達しました。日本で紙製のコースターが使われるようになったのは第二次世界大戦後のこと。ダグラス・マッカーサー率いる進駐軍の将校クラブで使われていたのを、日本人が真似して作ったのがきっかけといわれています。戦後は喫茶店やバー、料亭などの飲食店で広く使われ、お店の名前や図柄が印刷された広告媒体としても親しまれていました。近年では紙製コースターを見る機会は以前より減ったようにも感じます。

日本では古来、神仏へのお供え物や貴族の食事の際、「折敷(おしき)」と呼ばれる縁のついた四角い木の板に料理を載せて出していました。これがのちにお盆へと発展します。一客ごとに独立したお盆で料理や器を出すことは、相手への敬意を示すおもてなし、配膳の形式でした。茶托や折敷、ソーサーには、それぞれの土地で育まれたお茶や器の文化が映し出されているように感じます。その背景を知ると、いつものお茶の時間がまた少し豊かになるような気がします。

岩本清商店 馬尺茶托
https://www.shokunin.com/jp/iwamoto/chataku.html
FUTAGAMI 真鍮鋳肌のコースター 光芒
https://www.shokunin.com/jp/futagami/coaster.html

参考資料
https://ja.wikipedia.org/wiki/茶托
https://ja.wikipedia.org/wiki/ソーサー
https://rafuju.jp/mag/glossary/saucer/
https://yokoyamaart-museum.note.jp/n/ned2da8be3f20
https://letterpresslabo.com/2024/04/24/heiwapaper-vol65/


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【アイスコーヒーのはじまりに80mm】

近頃、朝はまだ少し肌寒いのに、日差しには夏の気配が混じり始めてきました。窓を開けると入ってくる風もやわらかく、ようやく春の延長ではなく、夏に向かっているのだなと感じます。そんな季節になると、いつものコーヒーにもそろそろ氷を入れたくなってきます。

とはいえ、まだ真夏のように、たっぷりの氷を入れた大きなグラスで、氷の音が響くような冷たさを求めているわけではありません。冷たさは欲しいけれど、きりっと冷えすぎるより、少し涼しさを感じるくらいのちょうど良さを5月のアイスコーヒーに求めてしまいます。そんな日に自然と手が伸びるのが、秋田道夫さんの「80mm」です。

直径80mm、高さ80mmの装飾のない円柱のようにも見える湯のみ。無駄のないシンプルなデザインに目が留まり引き寄せられます。真っ白な中にコーヒーの黒がすっと広がる様子は影が生まれるようで、それだけで少し涼しい気持ちになり、実用的な食器でありながらアート作品のようです。

磁器ならではの、光が通り抜けそうな濁りのない白さとすべすべとした質感も、この器の魅力の一つです。見た目は筒のようにすっきりしていますが、実は二重構造になっていて、内側の底には湯呑みのような丸みがあります。冷たい飲み物を入れても結露しにくく、口縁は薄いので口当たりも軽やかです。濃いめに淹れたアイスコーヒーを少しだけ飲みたいときにぴったりです。

木のトレーやコースターに合わせると、白さがより涼しく見え、素材や質感がさまざまな食卓にも調和しますし、無機質なパソコンや文具が並ぶデスク周りに置いても、違和感なくなじみます。すんと引き締まった存在感のある佇まいは、心も整えてくれそうです。

5月の過ごしやすい気候を逃さぬように、あれもこれもと慌ただしく過ごしがちではないでしょうか?爽やかな風が吹くこの季節に、80mmの湯のみで飲むアイスコーヒーが、よく似合う気がしています。ひと息つくときに、ちょうどよい涼しさをぜひ感じてください。

80mm 湯のみ
https://www.shokunin.com/jp/80mm/
岩本清商店 切手盆 小
https://www.shokunin.com/jp/iwamoto/bon.html
FUTAGAMI 真鍮鋳肌のコースター 光芒
https://www.shokunin.com/jp/futagami/coaster.html


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【北欧デザインと民藝のつながり】

フィンランドのアアルトハウスを訪れた際、すだれや引き戸など随所に日本の要素が感じられ、それから日本と北欧のものづくりにおける関係性について考えるようになりました。

フィンランドの世界的建築家であるアルヴァ・アアルトの自邸、アアルトハウス。日本を訪れたことこそありませんでしたが、多くインスピレーションを受けていたそうです。私が北欧デンマークに住んでいた際、日本と北欧がお互いの国の文化やデザインに惹かれ合っていることを実感し、驚きました。無駄な装飾を省いたシンプルでミニマルな美しさや、自然の素材を生かしたデザイン。日本と北欧のクラフトを見たときに感じる妙なしっくり感やなじみの良さは、両者の共通する美意識から来ているのかもしれません。近年は、「Japanese(日本の)」と「Scandinavian(北欧の)」を組み合わせた造語であるジャパンディ(Japandi)という新しいインテリアスタイルも欧米で生まれています。

現在「北欧デザイン」と呼ばれているものの源は、おもに1950年代前後のミッドセンチュリーと呼ばれる時代に生まれました。アルヴァ・アアルト、エーロ・サーリネン、アルネ・ヤコブセン、ハンス・J・ウェグナー、カイ・フランクなどの北欧を代表するデザイナーが名作を次々に生み出し、1950年から1955年にかけてニューヨークのMoMAで「良い生活用品」を展示した展覧会「グッド・デザイン」展や、1954年から4年がかりでアメリカの都市を巡回した展覧会「デザイン・イン・スカンジナビア」などにより、北欧デザインはアメリカ経由で世界的なブームとなり、この時代に生まれた名作は国境を超えて広く愛され、現在に続く北欧デザインの源流となっています。

北欧ミッドセンチュリーのデザインと日本の民藝運動の歴史に目を向けてみると、そこにも多くのつながりがあることが分かります。スウェーデン手工芸協会の協会会長であったグレゴール・ポールソンは、1919年に『より美しい日用品』を出版。そこでポールソンは、いかに日用品のデザインが生活を向上させるかを説き、芸術家が工場と直接協働して質の高い日用品をあらゆる階層に広く届けるべきだと主張しました。1925年に柳宗悦が「民藝」という新語を作り、民藝運動によって「用の美」を提唱する約7年前のことでした。

ほぼ同時代に、日本と北欧の両方で伝統的な手工芸を再評価し、日用品の美を問い直す動きがあったのです。柳宗悦が「下手物」と呼ばれていた日用品にスポットライトを当て、失われつつあった手仕事の伝統を守ることを目指したのに対し、ポールソンは工場の力で美しい日用品を民主化することを目指しました。北欧デザインと民藝の間には「生活の美」「実用の美」という共通する信念がある一方で、無名性と作家性、あるいは手仕事と量産といったように、そのアプローチは根本的に異なっていました。

実際に、柳宗悦や濱田庄司は1929年にスウェーデンを初来訪していて、世界初の野外博物館であるスカンセン野外博物館と北方民族博物館への訪問は、日本民藝館の創設に大きな影響を与えました。宗悦は、「私たちはまず物を量において完全さすよりも、質において洗練しよう」と日本民藝館案内の中で述べており、実演を伴った手工芸の紹介を一つの模範としながらも、独自の審美眼でコレクションを作っていかなければならない、とスウェーデンの地で決意しました。スウェーデンの名窯グスタフスベリを代表するデザイナー、ヴィルヘルム・コーゲやスティグ・リンドベリ、そしてフィンランドのアラビア社に在籍したカイ・フランクは1950年代に来日し、北欧デザインの精神を日本にもたらすと同時に日本の工芸を本国に伝えています。

日本のモダンデザインを代表するプロダクトデザイナーであり、柳宗悦を父に持つ柳宗理は、デザイン性と実用性を兼ね備えたロングセラーを多く生み出したことで知られています。「用の美」を形にしながら、北欧デザインのアプローチにも共通する量産によって、美しく質の高い日用品をより多くの人に届けることを実現した柳宗理。日本と北欧という異なる地で生まれた美意識やものづくりに対する姿勢、両国の先人たちが辿った軌跡は、この先も時代を越えるプロダクトを生み、世界中の人々の生活をより良いものにしていくに違いありません。

ショールームのご案内
https://www.shokunin.com/jp/showroom/
濱田庄司記念益子参考館
https://maps.app.goo.gl/7j8uiPaHbXW2Qret8
光原社 仙台店
https://maps.app.goo.gl/J1szbMYqEFuAasZs6

参考資料
渡部千春『「北欧デザイン」の考え方』誠文堂新光社(2022)
https://www.alexcious.com/ja/campaign/japanesemodern
https://tacksamycket.jp/blogs/nordic-guide/


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【SUMO】

今年の初めに両国の街を夜散歩しました。夜空に浮かび上がる国技館の迫力や、場所の開催を知らせて回るお囃子「触れ太鼓」に遭遇し、一気に興味津々アンテナが反応してしまいました。

豊作を祈願し神々に捧げる儀式として始まった“相撲”。『古事記』や『日本書紀』に神々が力比べをする物語が記されています。人間の闘争本能の現れである力くらべや取っ組み合いから始まった伝統的なスポーツは、天皇の前で相撲を取る「天覧相撲」が300年間続いたり、鎌倉~戦国時代にかけては武士の戦闘の訓練として盛んに行われたそうです。織田信長も深く相撲を愛好し、勝ち抜いた者を家臣として召し抱えることもあったそう。江戸時代に入ると浪人や力自慢の者の中から、相撲を職業とする人たちが現れ、全国で「勧進相撲」が行われるようになりました。

「勧進相撲」とは寺、社の本堂や山門などの造営・修復に要する費用を捻出するために開催した相撲のこと。江戸幕府初期には、京、大坂、江戸を中心に全国各地で行われました。途中、社会の風紀を乱すなどの理由から、相撲興行が禁止されていた時期もありましたが、江戸中期の平和で豊かな時代には、幕府も勧進相撲を認めるように変わっていきました。東京では、深川の富岡八幡宮、本所(両国)の回向院、湯島の天神社など各所で開催。その後、回向院での開催が多くなり、江戸のメイン会場となっていったのです。名力士の登場や、境内に作られた巨大なよしず張りの仮小屋の出現により、「勧進大相撲」が誕生しました。それは、興行で得られる収入で生活を支えることができる、プロの力士の誕生です。

やがて人気力士は、相撲を好む大名家に召し抱えられ、勝利することによって大名の家名を上げる役割を担うようになりました。「一年を二十日で暮らすよい男」という力士たちの暮らしぶりを歌った川柳があり、これはひと場所が晴天10日、春・秋の2場所だったので、春秋の合計20日間相撲をとれば暮らしていけることを意味しています。実際には、そこまで優雅な生活ではなかったそうですが、なかなか興味深い川柳ですね!

両国では5月場所も始まり、すでに完売御礼とのこと。両国周辺もにぎわっていることでしょう。昨年、大盛況だったロンドン公演もまだ記憶に新しく、日本の伝統を興味深く見つめている海外の方々の眼差しがとても印象深かったことを覚えています。6月には、30年ぶりとなるパリ公演が開催されます。パリの街に「SUMO」がどのように溶け込むのか、今からワクワクします。

そして当店のお相撲さんたちもお忘れなく!なんともかわいらしい「セラミック・ジャパン」の陶磁器製の人形です。相撲の所作である「四股」と「仕切」に、ユーモアいっぱいの「昼寝」「欠伸」を加えた計4つのポーズがあり、どれも手のひらに乗るサイズです。玄関周りにも最適!眺めているだけで笑顔になれる大人気の人形です。

もうひとつは、長野県南信州の職人集団「わらむ」によるわら細工で、希少な古代米「白毛餅米(しらげもちごめ)」を含む6種類の稲わらを、製品の特性に合わせて使い分けています。

白毛餅米は嵐が来ても地に倒れにくいことから「勝藁(かちわら)」と呼ばれ、“土が付く”ことを嫌う相撲界では縁起の良い藁とされ、大相撲本場所の土俵だわらとしても使われています。迫力ある取り組みはもちろんですが、「SUMO」を取り巻くストーリーにも興味が湧いてくる今日このごろです。

セラミック・ジャパン 大入相撲
https://www.shokunin.com/jp/ceramicjapan/sumo.html
わらむ ポットマット
https://www.shokunin.com/jp/waramu/potmat.html
銀座ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/ginza.html

参考資料
https://www.sumo.or.jp/IrohaKnowledge/sumo_history/
https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/portals/0/edo/tokyo_library/sumo/index.html


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【隠れた人気者、木屋の爪切り】

日本橋木屋のロング&ベストセラーであるという、「黒爪切」。特にとある国から、この商品をお目当てに当店のショールームに来られる方が続出しています。

1792年(寛政4年)創業の木屋は、200年以上にわたり包丁を中心にさまざまな生活の道具を提供していますが、包丁を押しのけ、一番売れている商品がこちらの爪切りだと知った際は驚きました。小は、持ち歩きに便利なオリジナルサイズ。お子さま用にはもちろん、携帯用、職場用、車用と複数の場所に置いて使っている方も多いとか。2003年に発売された大は、固い足の爪も楽に切ることができる安心感のあるサイズです。切れ味がよく、切ったあともつるつる、爪飛散防止カバーが付いているため爪も飛び散らず、痒い所に手が届く設計です。私の父は、やすりがついている点に惹かれて購入していました。

実用的でありながら、塗装もせず鋼を黒く染め上げるのみで作られた、無骨で潔いデザインも魅力。ショールームに立っていると、こちらの爪切りを求めて韓国からのお客様がご来店されたことが、一度や二度ではありません。先日、お客様と話していたら、韓国の有名女優であるコ・ヒョンジョンさんが、木屋の爪切りを買う様子をYouTubeに投稿したことで人気を集めている、と教えてくださいました。思いがけないきっかけから、日本のものづくりの魅力が海を越えて伝わっていく様子を目の当たりにしています。

爪切りを入り口に、打出しフライパンややっとこ鍋、薬味寄せなどの木屋の名品を知る方も多いかと思います。現在、三条ショールームのメインテーブルには、当店でお取り扱いしている木屋の商品がたくさんございます。お近くに来られた際はこの機会にぜひお立ち寄りいただき、木屋の幅広いラインナップの数々を実際に手に取ってご覧ください。

木屋 爪切り
https://www.shokunin.com/jp/kiya/tsume.html
ショールームのご案内
https://www.shokunin.com/jp/showroom/
YouTube動画
https://www.youtube.com/shorts/kfapwQz-U0s
https://www.youtube.com/watch?v=K9Mj8MQIgGM

参考資料
https://kiya-hamono.jp/collections/nailclippers


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【パラオのストーリーボード】

今年のゴールデンウィークに訪れた、パラオ。屋久島とほぼ同じ面積に、人口約1万7千人が暮らす、北太平洋にある島国です。かつて日本の委任統治領であった歴史から、現在でも現地語に日本語由来の言葉が残っており、その数はおよそ700語から1,000語に及ぶといわれています。「シンブン(新聞)」「サシミ(刺身)」など、生活に密着した道具や食べ物を表す言葉、「乾杯」または「酒を飲む」を意味する「ツカレナオース(疲れ直す)」のような行動を指す言葉が、パラオ語の発音に合わせて変化しながら、今も日常的に使われています。街なかの小さな売店では、「BENTO」と書かれた紙が壁に張られ、実際に日本と同じような味付けのおいしいお弁当が売られていました。

さて、そんな日本とのつながりも深いパラオで今回出会ったのが、「ストーリーボード」というすばらしい伝統工芸品です。パラオ語では「イタボリ(板彫り)」といい、木彫りの工芸品を意味します。深夜に到着したホテルのエントランスで私たちを迎えてくれたのは、南国の力強さを感じる木肌に、人々の営みや伝説が細やかに彫り込まれた巨大な一枚でした。実は、このストーリーボードがパラオを代表する伝統工芸となった背景には、一人の日本人彫刻家による貢献がありました。

1929年(昭和4年)、民俗学者で彫刻家であった土方久功(ひじかたひさかつ)氏は、日本の委任統治下にあったパラオに渡り、自らも創作に励む傍ら、現地の人々へ自分たちの伝承を板に彫り、文化を後世に残すことを提案します。パラオに来て3カ月後には、図工の教員として採用され、パラオ各地の公学校で児童たちに「板彫り」の技術を教えました。土方氏が感銘を受けたのが、パラオの伝統的集会所である「バイ」に描かれていた装飾の美しさです。バイの梁や妻壁には、パラオに伝わる伝説や村の教訓、人々の暮らしが鮮やかな色彩で描かれていました。このデザインを板彫りにしたことが、ストーリーボードの原型となり、パラオの豊かな精神文化を今に伝えています。現在では、コロール刑務所でも刑務作業の一環として、ストーリーボードの製作と販売が行われているそうです。

今回の滞在では、コロールにある「テバン・ウッドカービング・ショップ」で、実際にストーリボードを製作するところを見学することができました。職人が一心に木と向き合い、物語を刻み込む様子は、一つの技術が日本とパラオをつないでいる光景そのものを見ているようです。年月を重ねるほどに木肌が深みを増し、美しく育っていくストーリーボード。お土産品としても人気ですが、「彫刻」という技術が日本とパラオを結び、伝統として根付いたその軌跡を知ることで、手仕事が持つ計り知れない価値や、それが切り拓く未来の可能性を強く感じたひとときでした。

アイライ ウォーター パラダイス ホテル & スパ
https://maps.app.goo.gl/MyEsER1RzNxGHuPTA
ベラウ国立博物館
https://maps.app.goo.gl/tt5JcGRnRdyp1yfR8
テバン・ウッドカービング・ショップ
https://tebangwoodcarving.com/

参考資料
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/palau/data.html#section1
https://www.palau.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_02244.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%96%B9%E4%B9%85%E5%8A%9F
https://kbc.co.jp/roots/detail.php?cdid=15554


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【千本通の今と昔を歩く】

京都の街を南北に貫く千本通。車やバスが行き交い、地域に密着した商店が並ぶ落ち着いた生活道路ですが、実は平安京が誕生した794年から1200年を超える長い時間の中で、その役割や街の表情を時代ごとに大きく変えてきた歴史を持っています。それぞれの時代で千本通がどんな役割を担ってきたのか、その変遷を辿ってみたいと思います。

千本二条交差点。市街地のありふれた風景が広がるこの場所には、ビル7~8階建てに相当する朱塗りの巨大な二重門「朱雀門」がそびえ立っていました。平安京のメインストリートだったころの千本通は、名を「朱雀大路」といい、現在の姿からは想像もつかないほど圧倒的なスケールを誇っていました。その道幅は、なんと約84m。京都市中心部の御池通よりも遥かに広く、東京の表参道の約2.3倍に及ぶ広大な直線空間でした。

朱雀大路が当時の「世界最大級」であったとされる真の理由は、単なる物理的な広さだけでなく、国家の理想を視覚化するために計算し尽くされた緻密な都市計画にあります。その根底には、北極星を基準とする天文学思想や、大自然のパワーを味方につける風水(四神相応)といった「宇宙の秩序」があり、それが都の中心を貫く完全な左右対称の幾何学デザインへと結晶化されていました。南の正門である羅城門をくぐった外国の使節や地方の役人の視線の先には、約3.8kmにわたる遮るもののない直線空間が広がり、手前の壮麗な朱雀門や宮殿群、そして背後にそびえる船岡山や北山の山並みが一本の軸線上で完璧に融合していました。この圧倒的な大パノラマは、日本の国力と天皇の権威を視覚的に見せつけるための、「国の威信をかけたメインストリート」だったのです。

しかし、平安中期以降、都の西側が廃れるとともに巨大な大通りは維持できなくなり、道幅はどんどん狭まっていきました。かつての華やかな「朱雀」の名は消え、中世には全く別の表情を見せることになります。「千本通」の名がついた背景には、この道が都の北西にあった葬送の地「蓮台野」への入り口にあたっていたことが関連しています。この世とあの世の境界とも言えるこの場所には、亡き人を供養するための卒塔婆が建てられていました。諸説ありますが、のちに小野篁が閻魔法王の姿を刻み建立した祠を基に開かれた「千本ゑんま堂(引接寺)」の周辺に、千本もの卒塔婆が立ち並んでいた景観こそが、「千本通」という名前の起こりといわれています。

鎌倉時代に建てられ、応仁の乱の戦火をも奇跡的に免れた国宝「千本釈迦堂(大報恩寺)」の本堂建立(1227年)の際には、棟梁の妻「おかめ」の悲話が生まれます。この伝説が「職人を支えた内助の功」「夫婦円満」「縁結び」などの象徴として爆発的に信仰を集めたのが江戸時代でした。周辺が「西陣織」の黄金期を迎えると、千本通は職人や商人が闊歩する生活道路となり、あちこちからカッタンコットンと織機の音が響く、庶民の活気あふれる産業の道へと姿を変えました。

明治末期から昭和初期にかけて、千本通は再び劇的な変化を遂げ、京都屈指の繁華街として頂点を極めます。「東の河原町、西の千本」と並び称され、夜も昼のような明るさを見せたエンターテインメントの聖地でした。その起爆剤となったのが、1912年に開通した路面電車(市電)です。狭くなった千本通の軒先をかすめるように電車が走り、市内中から人々が押し寄せました。そして、千本中立売を中心に花開いたのが「映画文化」です。芝居小屋から映画館へと生まれ変わった「千本座」を拠点に、日本映画の父と呼ばれる牧野省三や、日本初の映画スター・尾上松之助らが活躍し、日本映画の夜明けを牽引しました。当時の千本通は、仕事終わりの西陣の職人やモダンボーイたちで、連日連夜、熱気に包まれていたといいます。その栄華の面影は、今出川通と丸太町通の間に位置する「西陣京極」の飲み屋街に垣間見られます。

現在、千本通は穏やかな生活の道として人々の暮らしを支えています。しかし、その街並みは単に過去を忘れたわけではありません。千本丸太町から少し北東へ入った住宅街の中に、子どもたちが遊ぶ「内野児童公園」があります。その片隅にひっそりと立つのが、平安京の正殿があった「大極殿跡」の石碑です。かつての都の中心地は、今は近所のお年寄りが散歩し、子どもたちが駆け回る日常の風景と同化しています。街を歩けば、熱狂の渦を巻き起こした「千本日活館」の跡地はビルに姿を変え、牧野省三が1914年に建てた風情ある町家は、カフェとして新たな顔を見せています。壮大な歴史を特別なものとして飾るのではなく、街の移り変わりを通じて、日々の暮らしの中にそっと溶け込ませているように思えます。

国家の威信、葬送の地、熱狂の繁華街、そして穏やかな日常へ。1200年にわたり姿を変えてきた千本通には、一本の道が歩んできた歴史がそのまま息づいています。何気ない街並みのあちこちに眠る過去の記憶に耳を澄ませながら、のんびりと歩いてみてはいかがでしょうか。

今出川ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/imadegawa.html

参考資料
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/si057.html
https://kyotolove.kyoto/I0000136/
http://yenmado.blogspot.com/p/blog-page.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%9C%AC%E9%80%9A
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%9C%AC%E5%BA%A7



編集後記

こんばんは。職人.com運営者の櫻井です。

5月はいかがでしたでしょうか?記事にも書かせていただきましたが、私たちはパラオへ初訪問してまいりました。出張ではなく、完全なる休暇として行ったのですが、これを紹介したら喜ばれるのでは、とついついネタを探してしまい、幸せな職業病だなぁと思いました。

個人的には135カ国・地域目の訪問地になりましたが、職人.com通信の記事での意思表示どおり、6年以上ぶりに勇気を出して訪れた新しい国でした。これから「慣性の法則」が働き、新しい国・地域へもっと行けるかと思いますので、ぜひお楽しみにお待ちくださいませ。

原材料価格や送料原価の高騰など、変化の激しい時代になりましたが、安定したサービスにて商品をお届けできるようこれからも努力してまいります。

来月もどうぞよろしくお願いいたします。



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