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櫻井慎也
ベトナムのチャウドックの小さな島にて(2007年8月)
はじめまして。職人.com運営者の櫻井と申します。京都の同志社大学商学部を2003年に卒業しました。

私がこの事業を思い立ったきっかけですが、私は8歳から15歳まで父の転勤でシンガポールに住んでいたことがあって、日本を外から見ることができました。学生時代も一人旅に出てアメリカとヨーロッパを一周しておよそ20カ国を旅しました。


そこで感じました。日本はこんなにも経済的に影響力が強いのに、日本の文化は驚くほど知られていない。テンプラとスシぐらいしか一般に知られていないような感じです。3年間日本に住んでいたというアメリカ人のおばちゃんですら、考えて考えてようやく思い出せた日本語が「カツドーン!」でした。

思い出せたとき本当に嬉しそうにはしゃいで「カツ丼」を連発していましたが、日本人のことって本当に知られていないなぁと思いました。これでは日本人が普段何をしていて、どんなことを考えて、どんな文化を持っているかなんてこれっぽっちも関心を持たれていないなぁと感じました。


そこで、日本の文化をもっともっと発信して、日本の現代文化や伝統文化を知ってもらえれば、国家間とかでややこしい問題が多い中、もっと単純に個人と個人が趣味の領域で理解し合えるのではないかと感じたのです。事実、フランス人の友達が日本マンガの大ファンで、私なんかより確実に詳しかったです。音楽まで日本のパンクを聞いていました。

彼は日本に来たことはないかも知れません。ですが、マンガや音楽を通じて日本の生活を知り、共通点を持つことができています。彼が日本人と会えばすぐさま打ち解けあうことができるでしょう。個人個人が分かり合うのは意外と単純なことだと感じました。


中国の子供たち
中国の田舎で出会った子供たち(2004年5月)
言葉は通じませんでしたが2時間ぐらい一緒に遊びました。
また、7年間のシンガポールでの生活では、未だに根強い反日感情を感じました。韓国や中国でも同様で、仲良くなって話をしていても、政治の話になると顔色を変えて怒り出すこともしばしばでした。

しかし、「冬のソナタ」の空前の大ヒットによって本当にたくさんの日本人が韓国に興味を持ち、その地を訪れ、文化を理解しはじめました。たった一本のドラマが国のトップ同士が60年かけてもできなかったことを一瞬のうちに成し遂げてしまったのです。

それほどエンターテイメントが社会に与える影響は大きくて、戦後ずっと近くて遠い国だった韓国が2004年に一気に近くなったように感じます。ぜひこのいい流れに乗って、日本と韓国がもっともっと仲良くなれたらと思いました。この機会を逃したらまた次の機会が来るまで何十年かかるか分かりません。


その一方で、日本では大事な日本文化を継承する職人が減ってきています。これでは、大事な伝えるべき文化を受け継ぐ人がいなくなり、なくなっていってしまう、これは大変だと思いました。今の若い人は豊かな社会にいるので選択肢がたくさんあります。何なら働かなくてもなんとか生きていけます。

京都の美しい通り
京都の美しい通り
そんな時代の中、親のあとを継いで、職人になる人が減ってきました。このまま大事な日本の伝統文化をなくしてはいけないと思いました。そこで、職人を世の中にたくさん紹介して、若い方がこれだと思える仕事に出会えるきっかけを作ることができれば、職人も増え、文化が若返り、世界により素晴らしい文化を発信できると思いました。

そして日本と世界の若者が趣味の領域でもっともっと理解が深まれば、個人と個人の友好関係から徐々に下の世代へ伝っていくと思ったのです。今の日本の文化を提供していくことで、日本と世界を近付ける架け橋になりたいと思いました。

これから本当にこの人はすごいという職人を紹介していきたいと思います。商品はもちろんのこと、職人がどのようなことを考えて、その仕事に携わっているかということや、これからどのようにしていきたいかという熱い思いを紹介していき、一人でも多くのすばらしい職人を伝えていけたらと思います。これからどうぞよろしくお願いいたします。




中国の田舎で出会った子供たち(2004年5月)



運営者プロフィール

櫻井慎也 1981年2月23日生まれ

中島みゆきが大好き。大盛りのお店と瓶ビールが安い蛍光灯の大衆酒場が大好物。友人からは「ゴリラ」と「ウッズ」の愛称で親しまれているorののしられている。一人旅が好きで、訪れた国は約120カ国。


富山県小矢部市に生まれ、幼少時代を過ごす。

ガキ大将というよりただのクソガキに育ち、テストで全て反対の答えを書きわざと0点を取ったり、クラス全員対自分でケンカしたり、廊下でおおはしゃぎで歩いてるところを恐くて有名な村田先生に見つかってしまい平手打ちを5発連続で食らったり(体罰上等の古き良き時代でした)、自由奔放で悲惨な小学校時代を送る。


そんな折、8歳のときに父のシンガポールへの転勤が決まり、のどかなメルヘンの街富山県小矢部市から超高層ビルが林立する常夏の島に降り立ち、初めて世界を知る。

そして8歳から15歳までシンガポールにて青春時代を満喫。中学時代は体育祭団長、バンドではベースをして実は人生で一番モテたのが14歳でした。ここで女運は使い果たしました。


高校受験で日本に帰るというときに、早稲田受験に面接で失敗し同志社国際高校へ入学。兄にラグビー部に入れさせられ、わずか一年で20キロ以上体重が増える。頭がスキンヘッドになりました、金のピアスや指輪、ネックレスもつけました、ヒップホップミュージックにハマり、ラップを2年連続で文化祭で披露。劇でも主役を務めるなど、人間不信に陥り、あえて孤独を選んだ高校一年生から、三年生になる頃には学年で最も目立つ人物へと登りつめる!

そして意気洋々と同志社大学へ進む。しかし、今度は麻雀にハマってしまい2年間堕落した日々を送る。このままでは麻雀により廃人と化してしまうのも時間の問題だと危機感を覚え、二十歳になる直前に麻雀をやめることを皆に宣言しやめる。(実は同時にタバコもやめました)


その後、昔の友人とシンガポール、マレーシア、トルコを旅行し旅の楽しさを知る。しかし、ようやく大学時代の希望が見えかけたときに、就職活動が始まり、最終面接で4回連続落ちる。自分は何てプレッシャーに弱いんだと軽く鴨川でたそがれそうだったが、最後に第一志望の高砂香料という会社にだけ奇跡が起こり受かる。

残った大学生活は、自転車に乗って京都のめぼしい神社仏閣はほぼ制覇し、お寺、神社の素晴らしさを感じる。また国際警備保障という警備会社でアルバイトして貯めたお金で、アメリカ、ヨーロッパを一人で一周し世界観が一気に広がる。


そして新入社員として世界中に支社のある、ピカピカのガラス張りのビル最上階に本社のある東証一部企業に何かの間違いで入社できたはいいものの、実力を発揮できないもどかしい悶々とした日々を送る。そんな中自分の力でどれだけできるか試してみたいと、体中が独立したくてたまらなかったので、何の会社を作るか決めていなかったが、インターネットを使って何かできると直感的に感じ、その場で「会社作ります」と部長に電話して11ヶ月で退社。


退社後、しばらくは何をしたらいいのか分からず、第一志望の会社をやめたことで、親にもあきれられ、友人にもあきれられ、女友達はみるみる減っていき(女性は実に正直です)、頬はこけてガリガリになり、夜走りに行ったときに、耐え切れず橋の下で一人泣くというどん底まで落ちる。

そんなどん底なとき、友人のお母さんが何気なくしゃべった一言をきっかけに、職人.comの構想が浮かぶ。日本と世界をつなぐ事業を考えたときに、人生をかけてやるべきことはこれなんだと直感的に感じる。そして、退社3ヶ月後に創業し、1年半のアルバイトとの兼業生活を経て、現在に至ります。


運営者ブログ 2005年から続けている日記です。
旅行記
 100カ国以上訪問した記録を3枚の写真と一文でまとめました。
オリジナル壁紙 世界を旅して撮った写真などをパソコンの壁紙にしました。