$$$dearname$$$ ![]() ![]() ![]() 【INDIGO CLASSICのハンカチが加わりました】 手仕事により細部まで美しく染め上げられた藍染めのハンカチです。ロゴや装飾をそぎ落とし、藍の色そのものが際立つシンプルな佇まいを実現しました。リネン特有の張りのある質感でありながら、ポケットに収めても服のシルエットを崩しにくい薄手の生地。さらりとした肌触りは使うほどに柔らかく手になじみ、優れた吸水性と速乾性で日々の清潔を保ちます。日替わりやシーンに合わせて選べる3色の彩りは、大切な方への贈り物としても最適です。 INDIGO CLASSIC ハンカチ https://www.shokunin.com/jp/indigo/handkerchief.html ![]() ![]() ![]() 【山一・高野槙の湯桶】 国内外で人気の山一の湯浴みセットに、高野槙(こうやまき)を使った湯桶が加わりました。高野槙は、和歌山県の高野山周辺や、長野県の木曽に自生する日本固有の針葉樹です。木曽五木の一つにも数えられ、古くから水桶や建築資材として重宝されてきたほど、水に強く腐りにくい性質を持っています。 最大の魅力は、お湯を張った瞬間に広がる清々しい香り。ライムのような清涼感のある香りは、一日の疲れを解きほぐし、深い安らぎをもたらしてくれます。高野山では開祖・空海が花の代わりにその枝葉を供えたという言い伝えもあり、古くから人々の心に寄り添ってきた特別な木でもあります。 森の中で湯に浸かっているような、心安らぐくつろぎの時間。リフレッシュとリラックスを同時に叶えてくれる高野槙の香りを、日々の入浴の時間に迎えてみてはいかがでしょうか。こちらの商品は数量限定のため、在庫がなくなり次第、販売終了となります。ぜひこの機会にご検討くださいませ。 山一 高野槙の湯桶 https://www.shokunin.com/jp/yamaichi/yuami.html 参考資料 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0004990701_00000 https://store.at-aroma.com/topics_detail.html?info_id=8037 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 【再入荷のお知らせ】 いくつかの欠品商品が再入荷いたしました。ぜひご覧くださいませ。 木屋 すき焼き鍋 8寸 https://www.shokunin.com/jp/kiya/sukiyaki.html 山一 三角おにぎり型 大 https://www.shokunin.com/jp/yamaichi/onigiri.html 足立茂久商店 わっぱセイロ https://www.shokunin.com/jp/adachi/seiro.html 80mm 湯のみ https://www.shokunin.com/jp/80mm/ 山の形 桐のトレイ https://www.shokunin.com/jp/yamanokatachi/kiri.html ![]() ![]() 【卯月の話】 春ですね。日本では4月が新年度の始まりです。古くはこの月を「卯月(うづき)」と呼びました。その名は、旧暦4月ごろに咲く卯の花(ウツギ)に由来するという説が広く知られています。旧暦の4月は、現在の暦ではおよそ4月下旬から6月中旬にあたり、春から初夏へと移ろう季節にあたります。 ウツギはアジサイ科の落葉低木で、初夏に白い小花を数多く咲かせます。庭木や公園の植栽として見られることも多く、枝の内部が空洞であることから「空木」と書かれます。『万葉集』にも詠まれた植物のひとつで、古くから親しまれてきました。 童謡『夏は来ぬ』の「卯の花の匂う垣根に〜時鳥(ほととぎす)早も来鳴きて〜」に見られるように、卯の花は日本人の季節感と結びついた存在として知られています。垣根に咲くその姿は、平安期以降、初夏の風物として意識されてきたと考えられています。 卯月の語源のおもな説は「卯の花月(うのはなづき)」で、ウツギの別名「卯の花」が咲く季節からきているとされます。ほかに田植えの月を表す「植月(うつき)」、生まれる意味から「うぶ・初・産」の「う」説があります。民俗学者である柳田國男も「卯月とは初や産と関係している」と述べていますが、語源については諸説あります。生命が生まれ出でる季節、新しい世代が世界=「う(宇)」に満ちる卯月には、そんな日本人の生命観が重ねられているのではないでしょうか。 民間信仰では、竹・ウツギなどの中空の枝は「神の通り道」とされることがあり、神霊が宿る依代と考えられてきました。風が通り抜ける響きが「神語り」と解釈され、現世と神界の境界を象徴するといった見方から、かぐや姫神話との関連を指摘する説もあります。ウツギも同様に、神社の祭祀に用いられることがあるとされ、中空という構造に特別な意味が見出されてきました。 卯の花という名前は、植物のウツギだけではなく、豆腐作りの副産物である「おから」の別名でもあります。もともとおからは「御殻(おから)」と書きましたが、中身が何もない「空(から)」に通じて縁起が悪いとされました。そこで、ウツギの白く小さな花に見立てて「卯の花」と呼ぶようになったともいわれています。言葉の縁起を大切にしてきた日本人らしい知恵ですね。 言葉の中に感じられる、日本の自然や季節の移ろい。桜のあとに見られるウツギの卯の花を、季節の味わいとして取り入れてみてはいかがでしょうか。 白山陶器 6寸浅めん丼 https://www.shokunin.com/jp/hakusan/mendon.html 小石原焼 トビカンナ 5寸皿 https://www.shokunin.com/jp/koishiwara/ 和田助製作所 クッキング&サービングスプーン S https://www.shokunin.com/jp/wadasuke/spoon.html 参考資料 https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%88 https://nlab.itmedia.co.jp/cont/articles/3302718/ https://tenki.jp/suppl/kous4/2020/04/01/29764.html ![]() 【共に新生活を始めた銅のやかん】 今から数年前、小樽へ引っ越してきた時、私と一緒にやってきたものがあります。それが「東屋の銅のやかん」です。随分前に購入していたものの、実家にはすでに何十年も使い込まれた銅のやかんがあり、今使わなくてもいいかなと、なかなか出番がありませんでした。 そんなやかんを使い始めるきっかけになったのが、新生活のスタートでした。毎朝お湯を沸かし、当たり前のように使う道具として、やかんが暮らしの中に入ってきました。私の今の生活とちょうど同じ年数を重ねていて、だからこそ日々少しずつ表情を変えていく姿を見るのが、楽しくて仕方ありません。平日は水筒に入れるお茶のお湯を沸かすために。寒い冬の夜には湯たんぽ用のお湯を用意するために。ほぼ毎日火にかけているので、使わない日はほとんどありません。そして使い込むほどに、落ち着いた色合いとやわらかな艶が育ってきました。 銅のやかんは本当に使い勝手が良い道具です。まず、お湯が沸くのが早い。忙しい朝でもストレスがありません。そして、水を入れて置いておくだけなのに、どこか味がやわらぐように感じます。沸かしたお湯はさらにまろやかで、お茶を淹れると違いがはっきり分かります。丈夫で、気負わず使えて、壊れる心配をほとんどしなくていい。道具を使っているという感覚を、自然に楽しませてくれる存在です。銅のやかんに限らずかごバッグなどもそうですが、なぜ経年変化するものには心を惹きつけられるのでしょうか。それはきっと、使った時間や暮らしの跡がそのまま形になって残るからだと思います。新品の美しさとは違う、少しキズがあって少し色が深まった姿。そこに自分の生活が刻まれていると思うと、自然と愛着が湧いてきます。 新生活を共に始めたこの銅のやかんで、今年は当店ブログでも紹介された「やかんで作る麦茶」を早く作りたくて、暑い夏が待ち遠しいです。季節が巡り、使い方が増え、また少し表情が変わっていく銅のやかん。これからも特別な存在として、頼れる毎日の道具として、このやかんと付き合っていきたいです。 東屋 銅のやかん https://www.shokunin.com/jp/azmaya/yakan.html 須浪亨商店 いかご https://www.shokunin.com/jp/sunami/ikago.html やかんで作る麦茶(記事) https://jp.shokunin.com/archives/52028887.html ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 【富山県の昆布文化】 和食に欠かせない食材のひとつである「昆布」。この昆布の消費量で全国トップクラスを誇るのが富山県です。富山県は、ほとんど昆布が採れない場所であるにもかかわらず消費が多いというこの不思議な現象の背景には、江戸時代から続く越中(富山)と蝦夷(北海道)の歴史的な物流と、人々の生活に深く根付いた独自の食文化がありました。 そもそも昆布は、国内生産量の9割以上が北海道産です。なかでも函館産は生産量・生産高ともに日本一を誇り、古くから最高級品として知られてきました。実は、江戸時代の時点ですでに北海道(松前地・蝦夷地)は、日本の昆布需要を支える絶対的な産地でした。この圧倒的な海の恵みが、のちに富山の食文化に大きな影響を与えることとなります。 富山県内では、だしを取るだけでなく、昆布そのものを食べる習慣が浸透しており、にしん昆布巻き、昆布かまぼこ、おぼろ昆布など昆布製品が多彩で、行事食や日常の食卓に欠かせない存在となっています。この文化の礎を築いたのが、江戸時代中期から明治時代にかけて日本海を往来した「北前船」です。北前船は北海道産の昆布や魚肥のニシンを大量に仕入れ、日本海沿岸の寄港地で売りさばきながら大阪へと向かいました。富山県内では、黒部の生地(いくじ)、富山市の東岩瀬、高岡の伏木などが寄港地となり、良質な北海道産の昆布が大量に流通する一大拠点として繁栄しました。 さらに明治時代になると、富山から北海道への移住者が急増したことが、富山の昆布文化をいっそう強固なものにしました。当時の富山は、漁師一人当たりの海岸線が限られていただけでなく、土地に対しての人口が多く農地も不足しており、たとえ漁や収穫があっても豊かな暮らしを維持するには十分ではありませんでした。生活を支えるために厳しい環境を強いられていた中で、明治35年から明治44年までの10年間をピークに、多くの開拓者が新天地を求めて北海道へ渡りました。その職業は多岐にわたり、圧倒的に多かった農業従事者をはじめ、黒部周辺からはタラや昆布を追う漁業の出稼ぎ、さらには米の収穫が難しい北海道で富山米を扱う米穀商、道路や鉄道を築く日雇いの労働者など、誰もが成功を掴み取れるチャンスにあふれていました。 彼らは「越中魂」と呼ばれる持ち前の忍耐強さで土地を切り拓き、農地を広げ、道を築くことで北海道の礎を築いていきます。こうして各地で生活基盤を固めた富山の人々が、現地の最高級の昆布を故郷の家族や親戚へ送り続けたことで、富山県民の間で昆布は贈答品や日常の食材として定着していきました。それは単なる食材という枠を超え、新天地での「成功の証」や、遠く離れた「家族への想い」そのものとして、人々の暮らしと心に深く刻まれていったのです。 こうして育まれた歴史は、現在も「とろろ昆布のおにぎり」に代表される富山県の郷土料理の中に息づいています。とろろ昆布は、酢漬けにした数種類の昆布を重ねて固め、その表面を削り出して作られます。黒と白の2種類があるのは、削る過程において、表面の黒い部分から中心の白い部分へと変化するためです。富山県独特の黒とろろは酸味が強く、白とろろは酸味が控えめでやわらかな食感が特徴。バランスの取れた酸味と旨味が絶妙で、白米との相性も抜群です。 遠く離れた大地で土を耕し、あるいは波に揺られながら、故郷の家族を想って送り届けられた最高級の昆布。北前船が運んだ海の恵みと、新天地を求めて北海道へと渡った先人たちの情熱が、現代まで綿々と伝わっているのを感じます。その深い味わいと豊富な栄養は、時代を超えて今の私たちの心と体を支えてくれています。 山一 三角おにぎり型 大 https://www.shokunin.com/jp/yamaichi/onigiri.html 一陽窯 小皿 https://www.shokunin.com/jp/ichiyou/plate.html 小石原焼 トビカンナ 5寸皿 https://www.shokunin.com/jp/koishiwara/ ショールームのご案内 https://www.shokunin.com/jp/showroom/ 参考資料 農林水産省「にっぽん伝統食図鑑」 https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/ https://www.info-toyama.com/stories/konbu http://museums.toyamaken.jp/documents/documents026/ https://newsdig.tbs.co.jp/articles/tut/896100 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 【卯の花のリメイクサラダ】 豆腐のおからで作る「卯の花」。私はこの料理が大好きなので、作るときは山田工業所の打出し片手鍋大を使い、一度にたくさんの量を作ります。というよりも、おからが新鮮なうちに調理しておいしく栄養を摂りたいので、おからは一袋全部使うのと、椎茸も、人参も、白いねぎも、ちくわだって外せないとなると、出来上がりがどうしても2人家族には多すぎる量になってしまうのです。冷凍保存もできるのですが、冷蔵庫に残っている材料と組み合わせてリメイクできないかと考えていたところ、これまた好物のブロッコリーと卵が目に留まりました。 早速ブロッコリーを水で洗い、愛用の料理バサミ、鳥部製作所のキッチンスパッターで食べやすい大きさに切り分けます。包丁の先を房の根元に入れて切るよりも、ずっと簡単で手軽。刃の厚さが3mmと厚く、ギザギザの刃の加工で食材が滑りません。カットしたブロッコリーは、ボウルに入れた水でもう一度洗い、細かい汚れを落とします。ブロッコリーをゆでるのは水ではなくお湯から。沸騰したお湯に、ブロッコリーを色良くゆでるための塩を少々加え、ブロッコリーを入れて2分30秒。時間になったら湯切りしたブロッコリーを、まかない平ザル180をセットしたまかないボウル180の上に広げ、自然に冷まします。水にさらさないことで、ブロッコリーの花蕾(からい)の部分に水分が残らず、食感が良くなるそうです。 ブロッコリーが冷めたら、もう一つの鍋で作っていたゆで卵の殻をむき、ボウルに卯の花とブロッコリーとゆで卵を入れ、マヨネーズと黒胡椒を加えてざっくりと混ぜます。ゆで卵は好きな大きさになるように、大久保ハウス木工舎の調理匙で崩しながら。私がボウルでサラダを和えるときにこの調理匙を使うのは、細めの形状のため、そんなに大きくないボウルのときでも混ぜやすく、木の素材がステンレスのボウルに当たっても耳にやさしいから。金属同士のぶつかる音が少し苦手、という方におすすめしたい一本です。卯の花にはすでに下味が付いているので、ここではマヨネーズと和えるだけで、簡単でおいしい和風のサラダになりました。 思いがけずたくさん作ってしまった献立も、何かと組み合わせるだけでいつもと違う楽しみ方ができる。そのとき冷蔵庫にあったものと一緒に使ってみたら、新しい発見やレパートリーになるかもしれません。盛り付けに使う器も、普段とは違う雰囲気のものを選んでみるのはいかがでしょうか?当店オンラインやショールームで販売している便利な道具たちも、ぜひ台所でお役立てくださいませ。 鳥部製作所 キッチンスパッター https://www.shokunin.com/jp/toribe/ conte まかないボウル 180・まかない丸バット 180・まかない平ザル 180 https://www.shokunin.com/jp/seiryu/hirazara.html 大久保ハウス木工舎 調理匙 https://www.shokunin.com/jp/okubo/saji.html 薗部産業 リスボウル 大 https://www.shokunin.com/jp/sonobe/risu.html 山田工業所 打出し片手鍋 大 https://www.shokunin.com/jp/yamada/ ブロッコリー(記事) https://jp.shokunin.com/archives/52020481.html 参考資料 https://furunavi.jp/discovery/knowledge_food/202202_broccoli/ https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/ ![]() ![]() ![]() ![]() 【深澤直人さんについての話】 世界的に活躍する、日本を代表するプロダクトデザイナー・深澤直人さんのデザインの思想には、「WITHOUT THOUGHT」があります。人が考えずに自然に行う行動や習慣に着目し、その中に美しさや利便性を引き出すというものです。そこにあることが当たり前になるということ。日常の背景になじんで溶け込むデザインは、使う人に意識させることなく安心をもたらします。主張がないものは流行に左右されず、時代が変わっても古びません。 その哲学は、柳宗悦が提唱した民藝思想と共通点があります。柳が語った「用の美」は、名もなき職人が日常のために作った器や道具の中にこそ真の美が宿る、という考えです。個人の表現や自己主張ではなく、自然や伝統に従うことで生まれる形。深澤さんのデザインもまさにこの考えに通じているように感じます。 特別なものをつくろうとせず、「かたちは“相手方”にある」という姿勢。「相手方」とは、「人」や「環境(空間)」を指します。デザインは、もの単体で存在するのではなく、「人とものとの関係性」の中に生まれるという考え方です。デザイナーの個性を押しつけず、人々の記憶の奥底にあるふつうの形をすくい取っています。たとえば、MoMA(ニューヨーク近代美術館)にも収蔵された無印良品の壁掛式CDプレーヤーでは、換気扇のひもを引くという日常的な動作から着想を得ています。その自然な行為を形にすることで、意識の外にある心地よさを生み出しました。 深澤さんが語るデザインの「典型」とは、誰もが知っている、ふつうの形です。作り手の自己表現をそぎ落とすほど、かえって普遍的な美と機能が現れるという逆説的な美学です。つまり、民藝が工芸の世界で実践してきたことを、深澤さんは現代の工業デザインとして再解釈しているのだと思います。そんな視点から、時代の中でこれから生まれていく新たなふつうの形に、改めて興味が湧きました。 職人.comで扱う「SIWA | 紙和」は、山梨県市川大門の和紙メーカー大直と深澤さんが手がけるシリーズです。深澤さんは破れない障子紙「ナオロン」をくしゃくしゃにすると独特の風合いが生まれることを見いだし、紙の可能性を日常品として広げました。まさに暮らしに溶け込むデザインです。 SIWA | 紙和 ブックカバー https://www.shokunin.com/jp/siwa/bookcover.html SIWA | 紙和 ボックス https://www.shokunin.com/jp/siwa/box.html 参考資料 https://naotofukasawa.com/ja/about/ https://designcommittee.jp/member/fukasawa_naoto.html https://www.axismag.jp/posts/2021/03/349572.html https://www.hermanmiller.com/ja_jp/stories/why-magazine/ https://www.2121designsight.jp/documents/column/cat598/ ![]() ![]() ![]() ![]() 【鯉のぼり】 お花見の季節が終盤を迎え、心地よい風が葉桜を揺らして通り過ぎる今日この頃。4月下旬から5月上旬にかけては、日本各地の公園や川の両岸、そして橋に掲げられたたくさんの鯉のぼりが、青空を悠々と泳ぐ姿が見かけられます。 鯉のぼりの歴史は、江戸時代にまでさかのぼります。もともと武家では、端午の節句に向けて、門前に幟(のぼり)や旗指物(はたさしもの)を立てる習慣がありました。江戸時代中期になると、これを商人が模し、中国の「登竜門」という、鯉が滝を登って龍になるという伝説にあやかり、わが子の立身出世を願う象徴として、幟を「鯉」の形に象(かたど)ったものに変えて掲げるようになります。 こうして誕生した当時の鯉のぼりは、和紙で作られた黒い真鯉一つを揚げるのが一般的で、しだいに大型化しながら広がっていきました。歌川広重が1857年に発表した『名所江戸百景』のうち「水道橋駿河台」には、江戸時代の鯉のぼりが風に泳ぐ様子が、鮮やかに描き出されています。 明治時代後半から大正時代にかけて、鯉のぼりは少しずつ変化していきました。真鯉に加えて、赤い緋鯉(ひごい)を一対で掲げるようになったのです。武家発祥の行事であったこともあり、真鯉と緋鯉は「父と子」、あるいは単に一対の鯉として捉えられていました。 鯉のぼりが「家族の象徴」として人々の心に広く浸透したきっかけは、昭和6年に発表された童謡『こいのぼり』にあります。 やねより たかい こいのぼり おおきい まごいは おとうさん ちいさい ひごいは こどもたち おもしろそうに およいでる しかし、実際に空を泳ぐ鯉のぼりを見上げていて、不思議に思ったことはないでしょうか?童謡では「お父さん」と「子どもたち」だけで、歌詞の中に「お母さん」が登場しないのです。私自身、幼いころにこの歌を口ずさみながら、黒い真鯉と赤い緋鯉、そして小さな青い鯉が並んで泳ぐ様子を見て、「緋鯉」と、歌詞には出てこない「青鯉」も「子どもたち」なら、お母さんはどこへ行ったのだろうと不思議に感じていたことを思い出します。 その理由は、この童謡が作られた昭和6年の時点でも、まだ鯉が二つだけの鯉のぼりが主流だったからです。しかし戦後、高度経済成長期を経て家族のあり方が変化していく過程で、鯉のぼりの構成も変わっていきました。昭和30年代後半には、それまで子どもとされていた緋鯉が「お母さん」と見なされるようになり、新たに小さな青い鯉が「子ども」として加わったのです。こうして、家族全員で空を泳ぐ現在の鯉のぼりの姿が、イメージとして定着していきました。 現代の住宅事情により、昔のように鯉のぼり用の大きいポールを屋外に立てることは難しくなりました。しかし、時代や環境が変わっても、子どもの健やかな成長を願う気持ちが変わることはありません。そこでおすすめしたいのが、今の住空間に自然となじむ、「ここかしこの鯉のぼり」です。付属の棒で吊るすほか、壁に泳がせたり、天井から吊り下げたりと、毎年自由な飾り方を楽しめます。省スペースで飾れるコンパクトな設計ながら、越中八尾の「桂樹舎」による手漉き和紙と型染めの伝統技法を用いた本格的な仕上がりで、男の子の成長はもちろん、家族みんなの健康と開運、成功を景気よく後押ししてくれる縁起物として、端午の節句を彩ります。 生活様式が変化した現代において、無理なく伝統を暮らしに取り入れ、想いをつないでいく。そんな新たな端午の節句を提案してくれる鯉のぼりは、飾るたびに家族のあたたかなつながりを再確認させてくれます。 ここかしこ 鯉のぼり https://www.shokunin.com/jp/kokokashiko/koinobori.html 参考資料 https://www.tamarokuto.or.jp/blog/blog/2023/05/01/carp-streamer/ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%84%E3% https://weathernews.jp/s/topics/202204/250205/ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 【アサヒグループ大山崎山荘美術館】 京都駅から電車で約15分のところにある、自然、建築、美術が調和した「アサヒグループ大山崎山荘美術館」は、2026年春に開館30周年を迎えます。 アサヒグループ大山崎山荘美術館は、実業家・加賀正太郎によって建設された「大山崎山荘」の保存再生と活用を目指して、安藤忠雄氏設計の新館を加え、1996年(平成8年)に開館しました。加賀氏自らが建物や庭園の設計に携わり、1912年(大正元年)に建て始め時間をかけて完成させた山荘は、大正から昭和初期の洋風山荘建築としての文化的価値も高く、2004年(平成16年)には、美術館本館をはじめとする建造物が国の有形文化財として登録されています。 加賀氏の没後、加賀家の手を離れた大山崎山荘は荒廃寸前となり一時は取り壊しの危機にまで直面しましたが、貴重な山荘の保存と周囲の自然保護を求める声が多く上がりました。加賀氏はニッカウヰスキーの設立にも参画しており、アサヒビール株式会社の初代社長であった山本爲三郎(ためさぶろう)と同じ財界人として深い親交があったことから、地元の有志、京都府、大山崎町、アサヒビール株式会社が連携したことによって、アサヒグループ大山崎山荘美術館は生まれました。 アサヒグループ大山崎山荘美術館の魅力は、そのような歴史が詰まった建築や、およそ5500坪の広大な庭園だけではありません。アサヒグループ大山崎山荘美術館の所蔵品の中核を成すのが、美術館開設に際して寄贈された印象派の巨匠モネの《睡蓮》連作や、柳宗悦らが提唱した「民藝」運動ゆかりの名品などの山本爲三郎コレクション。山本氏は、民藝運動への支援に熱心に取り組み、大阪の船場に生まれた「大阪人」の実業家として「大阪ロイヤルホテル」(現・リーガロイヤルホテル大阪)の設立や「リーチ・バー」の開設を実現した人物でもあります。山本爲三郎は、現代まで民藝というものを伝え、広めた立役者とも言えるのではないでしょうか。 昨年、初夏にアサヒグループ大山崎山荘美術館を訪れました。大山崎の豊かな自然の中の山道を登っていくと山荘が現れ、静かな空気が流れる館内では、楽しみにしていた民藝などの美術品の鑑賞もさることながら、重厚で優美な建築の中を歩くだけで心が潤いました。喫茶室のテラスは、遠くまで広く見晴らせる贅沢ビュー。喫茶室内にも民藝品が多く展示されているため、ぜひ欠かさずに利用していただきたいです。景観を保つため半地下構造となっている安藤忠雄氏設計の地中館「地中の宝石箱」への通路はガラスで覆われており、庭園を眺めつつ下ると、モネの《睡蓮》が視界に広がります。常設のため、睡蓮を落ち着いてゆったりと見られる貴重な場所だと感じました。 30周年という節目を記念して、現在、アサヒグループ大山崎山荘美術館ではコレクションの核である「民藝」と「モネ」にスポットを当てた2つの展覧会「山本爲三郎・河井寬次郎没後60年記念 共鳴 河井寬次郎x濱田庄司 ―山本爲三郎コレクションより」(2026年3月20日~2026年9月6日)と「没後100年 クロード・モネ展」(2026年3月20日~2027年4月11日)が開催されています。例年6月~8月ごろには、アサヒグループ大山崎山荘美術館の庭園にモネを想わせる睡蓮の花も咲き誇ります。初夏にかけてのさわやかな季節、またあの美しい庭園と美術、建築、空気をまるごと味わいに、あの地を訪れたいなと夢見ています。 アサヒグループ大山崎山荘美術館 https://maps.app.goo.gl/yHMsNVqv66FekTmT9 大山崎山荘美術館 喫茶室 https://maps.app.goo.gl/vAsvwu43YktiginH6 ショールームのご案内 https://www.shokunin.com/jp/showroom/ 参考資料 https://www.asahigroup-oyamazaki.com/ https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/32252 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 【韓国の地方を巡る】 2025年の日本人の海外旅行先のランキング1位となったのは、最も近い国である韓国のソウルだったそうです。トップ10の中には、釜山のほか、龍仁や春川などの中堅都市も入り、新たな旅行先として注目されているとか。ソウルや釜山といった韓国旅行の定番である大都市は、韓国のトレンドがすべて集まる場所。都会ならではの楽しみや旅行の目的もありますが、次の韓国旅行は都会から離れた地方都市や田舎を訪れてみるのはいかがでしょうか? 韓国への留学中、私が毎週末のように利用したのが高速バスです。韓国の高速バスは鉄道のない地域も含め、国内の隅々まで運行しています。何より学生の貧乏旅行にもありがたい価格帯で、東西南北ありとあらゆる場所を巡り、地域ごとに異なる食文化や風景を体験することができました。その中でも、特に印象的で何度も訪れたことのある場所が慶州(キョンジュ)と安東(アンドン)です。慶州と安東はどちらも、行政区分でいうと韓国東部の慶尚北道に位置する、長い歴史と伝統を誇る街です。 慶州は紀元前57年ごろから、935年まで約1000年続いた古代の王朝・新羅の都です。新羅は百済・高句麗を平定し、朝鮮半島を初めて統一した国。仏教を国教とし、優れた仏教美術が花開きました。仏国寺や石窟庵など、新羅仏教芸術の最高傑作と評される史跡や文化財が残されており、ユネスコ世界文化遺産にも登録されています。「屋根のない博物館」とも呼ばれ、韓国の学生の修学旅行先の定番です。日本でいう奈良・京都のような観光都市。そう例えられるのも納得で、新羅は奈良との関係も非常に深く、東大寺の大仏開眼供養会の際には700人ほどの新羅使節団が奈良へやってきたそうです。 現在でも慶州市と奈良市は50年以上の姉妹都市提携を行っています。シルクロードの東端として、ユーラシア大陸の西側からはるばるもたらされたものが数多く出土しており、正倉院に収められているものに似たガラス杯などもその一つです。近所にコンビニがある感じで、古墳や史跡、国宝がある街の慶州。歴史遺産を見に行くというよりは、歴史の中に入り込むという表現がしっくりくる気がします。古墳が集まる地区である緑の美しい大陵苑を歩いていると、古代から吹いてきた風を感じているような不思議な感覚になります。島国である日本の歴史や人々の交流が、朝鮮半島、そして遠くユーラシア大陸の西側にまで確実につながっていることを、慶州に行くと実感します。 安東も慶州と同じく伝統を守り続けてきた場所。ユネスコ世界遺産である安東河回村(アンドンハフェマウル)は、朝鮮王朝時代の官僚である両班が600年にわたり代々暮らした場所であり、今でもその子孫の方々が暮らしています。村の名前の由来にもなっているとおり、村の周囲は洛東江にぐるりと囲まれ、自然豊かなところでもあります。また、安東は韓国の1000ウォン紙幣の肖像画にもなっている李滉の出身地です。 李滉は朝鮮時代を代表する儒学者で、1560年に故郷である安東に、今もその姿を残す「陶山書院(トサンソウォン)」を設立、そこで儒教の研究や後進の育成に力を注ぎます。書院とは、両班の子弟たちが科挙試験(官僚試験)の合格を目指し、儒学を学ぶための私設の教育機関です。彼の学説である朱子学は、文禄・慶長の役により日本に渡ることとなった姜沆によって儒学者の藤原惺窩に伝えられます。藤原惺窩によって取り入れられた朱子学はのちに、惺窩の弟子である林羅山らにより江戸幕府公認の学問である官学となりました。ちなみに、5000ウォン紙幣の肖像画である李栗谷と李滉は朝鮮時代の二大儒学者といわれています。 安東に行ったら必ず食べたい名物が「アンドンチムタク」という鶏肉と野菜を醤油ベースで煮込んだ料理です。韓国料理の特徴である唐辛子の色をした料理ではありませんが、大量の唐辛子と一緒に煮込まれていますので、油断せずに、辛さの調節をお願いするのがおすすめです。 唐辛子畑に、味噌やコチュジャンなどの伝統調味料を保存する甕「オンギ」が並ぶ風景。山に囲まれ、田畑があり、日本の田舎と似ているようで、よく見ると違いもたくさんある韓国の田舎。伝統的な暮らしを守る人々の穏やかな日常がそこにはあります。なんとなく似ているように見えても、目を凝らすと異なる点や日本との深いつながりを発見できることが、隣国を旅するおもしろさであると思います。田舎でしか見られない風景は、韓国本来の姿を映し出し、「もっと知りたい!」という新たな興味を掻き立ててくれるかもしれません。韓国へ何度も行ったことのある方も、初めて行くという方も、韓国の地方を巡る旅を次の計画に入れてみてはいかがでしょうか? 仏国寺 https://maps.app.goo.gl/CLbPiqwRkHRPEEza8 石窟庵 https://maps.app.goo.gl/G3q9DeuUYemwzMmo7 大陵苑 https://maps.app.goo.gl/azozTxd8S1ECoGU86 安東河回村 https://maps.app.goo.gl/eEFppY5qHbQRuVFJA 陶山書院 https://maps.app.goo.gl/fYQsvSPKJfzFERu28 参考資料 https://www.kankokeizai.com/2512311100kks/ https://www.konest.com/event/gyeongbuk/ https://www.city.nara.lg.jp/uploaded/attachment/112367.pdf https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%BB%89 ![]() まもなくGW休暇ですね。もう始まっている方もいらっしゃるでしょうか。当店では4/29(水)~5/6(水)と長めの休暇を頂きます。休暇前の発送をご希望の場合は、4/28(火)の夕方5時ごろまでにご注文くださいませ。 ショールームは、本社内にある今出川ショールーム以外は、サイトに記載のとおりです。臨時休業日もいくつかございますので、ご迷惑をおかけしますが何卒よろしくお願いいたします。 写真は小樽ショールームです。ただ今、INDIGO CLASSICのストールを薄・濃ともに展示中ですので、ぜひGW中にお越しくださいませ。 ショールームのご案内 https://www.shokunin.com/jp/showroom/ INDIGO CLASSIC ストール https://www.shokunin.com/jp/indigo/stole.html |
編集後記 こんばんは。職人.com運営者の櫻井です。 4月をいかがお過ごしでしょうか?今年はあまりお花見もできず、花粉に耐えながら慌ただしく過ごしました。そんな春もあっていいかなと思っています。 そんな中、人生の後悔を減らすことを一つ行いました。それはもうすぐ閉店するかもしれない飲食店に行って、悔いのないように楽しむことです。 私たちがいつも行くところは、上京区や北区、左京区に多く、休日の散歩コース上にあります。たまにインスタグラムなどでご紹介していますが、利益度外視のお店が多いので、おそらく跡継ぎされる方はいらっしゃらないだろうなぁと思います。 でも、その生きられた証はいつまでも私たちの心の中にあり、それはさまざまな形で未来永劫伝播していくことでしょう。そのように捉えると、跡継ぎを考えない自分にしかできない仕事というのもあっていいのかなと思いました。もちろん残っていただきたいですが。 そんなことを先日閉店された近所の「田鶴」さんを思い出して書いてみました。 さて、しんみりしてしまいましたが、ゴールデンウィークはぜひ今でしかできないことをやっていきましょう。私たちもそのように心がけて行動してまいります。 楽しいGW休暇をお過ごしくださいませ。 こちらのメールマガジンは、商品お買い上げの際などにご登録いただいた方に定期的にお送りしております。 配信解除はこちらをワンクリックしていただきますようお願いいたします。メールマガジンのアドレス変更・再登録はこちらから。 職人.com株式会社 〒602-8423 京都府京都市上京区藤木町795-2 075-415-0023 https://www.shokunin.com/ |
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