$$$dearname$$$ ![]() ![]() ![]() ![]() 【鬼福の鬼瓦風鈴と鬼瓦ペーパーウェイトが加わりました】 日本最大の瓦の産地である愛知県西三河地方(旧国名三州)で、約300年前から受け継がれてきた「三州鬼瓦工芸品」。享保5年(1720年)に徳川吉宗が防火のために瓦葺きを奨励したことで、全国的な普及が進み、産地として発展しました。 鬼瓦とは、古くから日本家屋の屋根に飾られ、家の厄除けや住む人の幸せ、繁栄を願ってきたお守りです。大正5年(1916年)創業の窯元「鬼福」では、成田山新勝寺や出雲大社などの有名社寺の鬼瓦を手がけ、熟練の「鬼師(鬼瓦職人)」の手作業による一貫生産で、その高度な技術を守り続けています。 最大の特徴は、釉薬を一切使わずに約1150度の高温で焼き上げることで生まれる、独特の「いぶし銀」の美しさ。焼成の最終工程で燻化(くんか)を行うことで素地の表面に炭素被膜が作られ、深い銀色に発色します。使い込むほどに、革製品のように味わい深い色合いへと経年変化していくのも魅力です。近年ではその圧倒的な存在感から、床の間飾りや玄関飾りなど、室内を彩る日常的な装飾品や縁起物としても親しまれています。 鬼福 鬼瓦風鈴 https://www.shokunin.com/jp/onifuku/furin.html 鬼福 鬼瓦ペーパーウェイト https://www.shokunin.com/jp/onifuku/paperweight.html ![]() ![]() ![]() ![]() 【廣田硝子の江戸硝子・karaiが加わりました】 「江戸硝子」とは、江戸時代に生まれたガラス製法を継承し、東京や千葉の窯元で製造されたガラス製品のことをいいます。ガラスの扱いは高温・繊細かつ、タイミングがとても重要なことから、熟練の技が欠かせません。平成14年に東京都伝統工芸品として、平成26年には国の伝統的工芸品に指定されました。 karai(花蕾)は、薄手に吹かれた江戸硝子。花の蕾を模した柔らかく優美なフォルムは、ワイングラスにも似た包み込むような形で飲み物の香りを引き立ててくれます。風味豊かな飲み物を少なめに注ぎ、傾けながら楽しむと優雅な印象に。ウイスキーや冷たいお茶、日本酒に、もちろんビールにもおすすめです。 廣田硝子 江戸硝子 karai https://www.shokunin.com/jp/hirota/karai.html ![]() ![]() ![]() ![]() 【再入荷のお知らせ】 いくつかの欠品商品が再入荷いたしました。ぜひご覧くださいませ。 辻和金網 銅つりかご https://www.shokunin.com/jp/tsujiwa/tsurikago.html 我戸幹男商店 Karmi Tea Canisters https://www.shokunin.com/jp/gato/karmi.html (Moto) 廣田硝子 江戸切子 蓋ちょこ https://www.shokunin.com/jp/hirota/futachoko.html (七宝) 輪島キリモト マグカップ https://www.shokunin.com/jp/kirimoto/mug.html ![]() ![]() ![]() 【エムピウのミッレフォリエ2が再入荷いたしました】 上質の一枚革から生まれた機能的な財布です。“millefoglie”とは、「1000の紙葉」の意味。折り重ねた内装を一枚革で巻きとめた形から付けられました。 ギボシで留めて巻いてある革を拡げて中のホックを外せば、マチつきの箱型小銭入れが立ち上がります。 すると、3ポケットのカード入れと札ばさみで留められた紙幣も含めてすべてが見渡せて、まとめて一度に一方向から扱うことができます。 おおよその容量は、お札10枚・コイン大小15枚・カード類15枚程度になります。 エムピウ ミッレフォリエ2 https://www.shokunin.com/jp/mpiu/millefoglie2.html ![]() ![]() 【白黒のサラダボウル】 最近使い始めた、セラミック・ジャパンの「白黒ボウル」。日本を代表する工業デザイナー・柳宗理によって、1982年にデザインされた「白黒の食器シリーズ」の一つです。角の取れたスクエアが特徴のこの器は、毎日の暮らしで使うことを考えて作られた、飽きがこないシンプルな形状です。やわらかな形に合わせた白と黒のマットな釉薬が使われており、2023年にセラミック・ジャパンのオリジナル商品として、生産・販売が開始されました。 我が家では「サラダボウル」として食卓に登場する機会が多いこの白黒ボウル。同じ直径の丸い食器と比べると、角がある分容積が大きく、野菜もちょっと多く入るのが嬉しいところ。今の季節は手頃な値段のレタスを買うことが多く、ドレッシングを手作りして楽しんでいます。さっぱりした食感のレタスは、少しだけ重めの口当たりのドレッシングと組み合わせると相性が良く、今日は冷蔵庫にあったヨーグルトとマヨネーズをベースにして作ってみました。すりおろした生のにんにくのピリッとした風味も食欲を後押ししてくれます。 東屋のジューサーは、レモンや柑橘を絞らなくても、本体部分だけをドレッシング容器として使うのが定番になり、これが2人分にはちょうど良いサイズ。conteのやくさじも、材料をなめらかにかき混ぜるのにぴったりの大きさ。緑が鮮やかなグリーンサラダは白のボウルに、豆腐サラダなど白い食材は黒のボウルにと、使い分けるのも良さそうです。お気に入りの器と道具を揃えたら、毎日のサラダ作りが少し楽しくなるかもしれません。 ヨーグルトとマヨネーズのドレッシング(2~3人分) [材料] マヨネーズ 大さじ1と1/2 プレーンヨーグルト 大さじ1 薄口醤油 小さじ1 蜂蜜 小さじ1/3 にんにく(すりおろし) ひとかけら 塩 ひとつまみ ごま油 お好みで少々 [作り方] 1. ボウルにマヨネーズ、ヨーグルト、薄口醤油、蜂蜜、にんにく、塩をすべて入れる。 2. 全体がなめらかなクリーム状になるまで、よく混ぜ合わせる。 3. ごま油はお好みで最後に加え、さっと混ぜる。 セラミック・ジャパン 白黒ボウル https://www.shokunin.com/jp/ceramicjapan/shirokuro.html ジャパンポーレックス セラミックおろし 小 https://www.shokunin.com/jp/porlex/oroshi.html 大矢製作所 銅おろし金 https://www.shokunin.com/jp/oya/ conte やくさじ https://www.shokunin.com/jp/conte/yakusaji.html 東屋 ジューサー https://www.shokunin.com/jp/azmaya/juicer.html ![]() ![]() ![]() 【ところてん】 透き通って涼しげで、ツルツルとした喉越し。夏になると食べたくなる「ところてん」、皆さんはお好きでしょうか?ところてんとは、天草(てんぐさ)と呼ばれる海藻を煮て溶かしてから、型に入れて冷やし固めたもの。固まったら「ところてん突き」という道具を使って、あの細長い麺状にします。原料である天草は、東洋医学では胸や胃の熱を取り、口の渇きを癒やすことで夏バテを改善する効果があると考えられています。ミネラルも豊富で、汗で失った栄養分を補給することができることから、夏にところてんを食べるのは理に適っていると言えるでしょう。 さて、「ところてん」なのか、「ことろてん」なのか、それとも「とろこてん」?...ずっと見つめていると文字がこんがらがってくることはありませんか?実は、文字がバグるのも無理はなく、もともとところてんは「心太」と書かれ、奈良から平安時代には「こころふと」と呼ばれていた歴史があります。諸説ありますが、「こころふと」が「こころてい」になり、現代も使われている「ところてん」へと変化した言葉の変遷がありました。 ところてんの食べ方は、東西で大きく味付けが分かれています。江戸時代、ところてんは江戸庶民の間食として好まれ、ところてん売りがその場でところてんを突いて客に出していました。調味料は醤油が普及しており、このころから醤油や酢醤油をかけて軽食や肴として食べるのが一般的だったようです。一方、上方では、葛粉(くずこ)を使った「くずきり」を黒蜜で食べる文化が古くから根付いていました。ところてんは、この「くずきり」と見た目や食感がよく似ているため、同じように黒蜜やきな粉をかけてデザート感覚で食べるのが自然な流れとなりました。また、日本全国にはさまざまなところてんの食べ方があり、からしや生姜、かつお節、梅酢をかけるなど、地域に根ざしながら今も発展しています。 食べ方のバリエーションが豊富なところてんですが、パックからそのまま出して食べるのは少しもったいない。実は、食べる前に一度水洗いをし、水をよく切ってからタレをかけたり調理することで、あの独特の磯臭さを軽減することができます。器も冷やして盛り付けると、さらに涼しさを感じられます。本格的な夏の到来まであと少し。お気に入りの器と爽やかな薬味を味方につけて、すっきりとしたひとときを楽しんでみてはいかがでしょうか。 セラミック・ジャパン 白黒ボウル https://www.shokunin.com/jp/ceramicjapan/shirokuro.html 参考資料 https://www.youtube.com/watch?v=-d-oCRI9TJ4 (レシピ) https://www.metmuseum.org/art/collection/search/78688 (『和国諸職絵尽 諸織 絵本鏡』) https://ja.wikipedia.org/ https://kotobanomado.jp/column/1098/ https://weathernews.jp/s/topics/201908/280225/ https://www.kurashiru.com/articles/35b5c693 ![]() ![]() ![]() ![]() 【失敗から生まれた奇跡の料理、暗殺者のパスタ】 1967年、イタリアのプーリア州バーリで生まれた「暗殺者のパスタ(spaghetti all'assassina)」は、その物々しい名前とは裏腹に、焦げの香ばしさと辛みがクセになる絶品の一皿です。 この料理の最大の特徴は、パスタを茹でずにフライパンで「焼く」という常識破りの調理法にあります。もともとは、料理人がトマトソースを煮詰めすぎてパスタを焦がしてしまった「失敗」が始まりとされています。しかし、その焦げた部分がまるで凝縮された旨味の塊のようにおいしかったことから、奇跡のレシピは誕生しました。 本場の作り方は、にんにくと鷹の爪をオリーブオイルで熱したあと乾燥パスタをそのままフライパンに入れ、トマトスープを少しずつ加えながらじっくりと焼き絡めていくそうです。表面はカリッと香ばしく、中はモチッとした独特の食感に仕上がり、一度食べたら病みつきになる味わいとのこと。今回は、トマトケチャップを使った簡単版を作ってみましたが、鷹の爪の辛みとケチャップの甘みが見事なハーモニーで、「具材を何も入れていないのに、このおいしさ!」と心底驚きました。 名前の由来は、あまりの辛さに「俺を暗殺する気か!」と客が叫んだ説や、トマトの真っ赤な見た目が血を連想させる説など諸説あります。失敗を最高の味わいへと昇華させたイタリアの奇跡を、ぜひ一度味わってみてください。 conte おてがる料理トング 220(料理に使用) https://www.shokunin.com/jp/conte/tongs.html conte おてがる料理トング 175(取り分けに使用) https://www.shokunin.com/jp/conte/tongs.html 青龍窯 平皿 https://www.shokunin.com/jp/seiryu/hirazara.html セラミック・ジャパン 白黒ボウル https://www.shokunin.com/jp/ceramicjapan/shirokuro.html 簡単版のレシピ https://www.facebook.com/reel/2446358692512066 本場の作り方 https://bacchetteepomodoro.com/ja/spaghetthi-allassassina-2/ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 【ハンカチ好きの日本人】 あるネットニュースで、中国のSNS・小紅書(rednote)で「なぜ日本人はハンカチが好きなのか?」が話題になったという記事を見かけました。以前、飲み物をこぼした中国人の友人に、バッグからハンカチやポケットティッシュを出して手渡したところ、「さすが日本人!ハンカチをいつも持っているのね!」と感動しながら言われたことを思い出しました。ハンカチやティッシュを持ち歩くことが、幼いころからの習慣で、忘れた日にはそわそわしてしまうくらいの私にとって、その反応はとても新鮮に映ると同時に、ハンカチを持つことはもしかすると日本独特の習慣なのかも?と思いました。 日本人が当たり前のように持ち歩くハンカチ。思い返してみれば、小学生、いや、さかのぼると幼稚園のころから、持ち物リストには「ハンカチ、ティッシュ」が常にセットで書かれていたと思います。トイレに行ったあと、食事の前、一日のうちに何度も訪れる手を洗ってハンカチで拭く場面。この当たり前だと思って意識せずとも行ってきた行動には、しっかりとした歴史的背景が存在していました。 「手を洗う」という習慣は明治時代以降に普及した「衛生」という概念や学校教育が大きく関係しています。日本に「衛生」という概念をもたらしたといわれているのが長与専斎です。彼は、明治4年(1871年)の岩倉使節団に随行し、欧米で国民の健康を担う行政機関の存在を知ります。帰国後は内務省の衛生局・初代局長として「衛生」という言葉を自ら命名し、日本の衛生行政の確立に尽力しました。また、明治20年(1887年)にはコレラや赤痢といった水系感染症の蔓延を背景に、横浜で初めて近代水道が整備されます。同時期には日本で最初の石鹸工場も創業し、以後日本中に石鹸が普及していきます。こうした時代を経て、各家庭レベルでの衛生環境に大きな変化が訪れるのは昭和20年(1945年)の終戦後です。GHQの指導下で進められた「生活改善普及事業」では、法令やインフラの整備だけでなく、生活改良普及員が農村を回り、トイレの衛生改善や手洗いの啓発を行います。こうした活動は学校教育にも影響を与え、学校でも手洗いの大切さや感染症対策の啓発が行われ、「手を洗う」習慣が一般的なものとして普及しました。 物理的な汚れを落とし、衛生的に保つための手洗いの習慣はこうして築かれてきましたが、一方で、日本には古来より心身の「穢れ」を川や海の水で清めるという考え方も存在します。神社に行った際は、参拝前に手水で手や口を清める作法がありますが、これも穢れを取り去る「禊(みそぎ)」を簡略化したものだそうです。日本人の手洗いの習慣にはこうした「清める」という日本の精神性とも深く関わっているのかもしれません。 こうした「手を洗う」という習慣と共にあったのが、「手を拭く」道具です。ハンカチが西洋から日本に入ってきたのは19世紀以降の文明開化に伴ってですが、それ以前は、「手ぬぐい」を使うのが一般的でした。手ぬぐいの歴史は古く、奈良・平安時代から神仏の像を拭いたり、神事に使う装身具として一部の高い身分の人々だけが使う特別な存在として使われていたようです。戦国時代になると、庶民にも普及するようになります。江戸時代に入り、綿花の栽培が発展するにつれてさらに広く使われるようになり、入浴や手洗いの際に使ったり、日除け、頭巾、前掛けとしても使われ、生活用品として欠かせない存在となりました。こうして手ぬぐいが担ってきた役割をハンカチが担うことになったのです。 古来からの日本の精神性や公衆衛生の発展、学校教育といった歴史的な背景が合わさることで、ハンカチ好きの日本人が誕生したことが分かりました。余談ですが、日本でハンカチが最も売れるのはいつだと思いますか?職場の異動や卒業・進学などお祝い事が多い3月だそうです。この時期を百貨店では「ハンカチ商戦」と呼び、売り場のレイアウトや商品の取り揃えを工夫するそうです。ハンカチは手頃な価格で購入でき、「毎日使うし、実用的だから」という考えでプレゼントする機会も多いのですが、改めて考えてみると、それだけ日本人の中には手を洗い、ハンカチで拭くことが根付いているということですね。 そんなハンカチ大国である日本には、素材やデザイン、大きさなど、さまざまな種類のハンカチがあります。ハンカチ好きの日本人が生み出したお気に入りの一枚をぜひ見つけてみてください。 INDIGO CLASSIC ハンカチ https://www.shokunin.com/jp/indigo/handkerchief.html ao カラーハンカチ https://www.shokunin.com/jp/ao/handkerchief.html 岡井麻布商店 手織り麻ハンカチ https://www.shokunin.com/jp/okai/handkerchief.html 参考資料 https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/306 (国立国会図書館「近代日本人の肖像」) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E6%8B%AD https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000963.000069859.html https://www.ndl.go.jp/portrait/pickup/006 https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no11/06.html https://www.kenko-kenbi.or.jp/columns/water/2007/ https://jsda.org/w/01_katud/ca263_history1.html https://www.kokugakuin.ac.jp/article/10585 ![]() ![]() ![]() ![]() 【入浴の話】 「入浴は七病を除き七福を得る」。古代インド仏教に由来するとされる経典『仏説温室洗浴衆僧経』(通称『温室経』)に記された教えです。古代インドの名医「耆域(ぎいき/ジーヴァカ)」が、釈迦とその弟子たちに入浴(沐浴)を勧め、釈迦が入浴の功徳を説いたとされています。この経典は、中国で漢訳され仏教文化とともに日本へ伝わり、その教えは奈良時代に寺院へ浴堂が設けられる思想的背景の一つになったと考えられています。当時の寺院には、蒸気で体を温める「温室(蒸し風呂)」や、湯や水で体を洗い流す「浴室」が設けられていました。現在のような浴槽での入浴よりも、蒸気で体を温める方法が中心だったようです。 奈良時代、東大寺の大仏建立を発願した聖武天皇の皇后・光明皇后は、病人や貧しい人々の救済に力を注ぎました。同じころ、寺院の浴堂も僧侶だけでなく人々に開放され、「施浴(せよく)」が広まっていきます。入浴の機会を提供することは、仏の教えである慈悲を実践し、功徳を積む大切な行いと考えられていました。光明皇后には、自ら病人千人を入浴させたという「千人風呂伝説」も伝えられています。この伝説は、入浴が慈悲の実践として重んじられていたことを象徴する逸話として、現在まで語り継がれています。『温室経』では、入浴によって改善するとされる「七病」として、1. 肉体的な病、2. 風邪、3. 手足のしびれ、4. 冷え、5. 熱、6. 不潔、7. 疲労や眼の疲れが挙げられています。また、入浴によって得られる「七福」として、1. 無病、2. 体が清らかになり顔色が良くなる、3. 体臭や衣服の汚れがなくなる、4. 肌がうるおう、5. 福徳が増す、6. 口臭がなくなる、7. 衣服が清潔で美しくなるが説かれています。 世界各地ではさまざまな入浴文化が発達しました。古代日本では蒸し風呂が中心でしたが、古代ローマでは、大量のお湯を用いる大浴場「テルマエ」が築かれました。その後、この浴場文化は東ローマ(ビザンツ)世界にも受け継がれ、さらにイスラム教の清浄観と結びついてハマムへと発展しました。一方で、中世後期から近世にかけての西ヨーロッパの一部地域では、「入浴は病気を招く」と信じられていました。ペストなどの感染症が大流行した際、「入浴によって毛穴が開き、瘴気(しょうき)が体内に入り込む」という説が広まったためです。その結果、人々は入浴を避け、香水で体臭を覆い、下着を頻繁に替えることで清潔を保とうとしました。ヨーロッパで入浴や医療目的の温泉(スパ)が再び一般的になるのは、衛生学が発達した19世紀以降のことです。日本では、蒸し風呂の時代を経て、江戸時代には都市部を中心に銭湯や五右衛門風呂が登場します。人口密度の高い江戸では、労働による汗や汚れをすぐに洗い流せる場が求められていました。日本の湿潤な気候と豊富な水資源も、湯で体を洗い流す文化が発達した一因と考えられます。 神道の禊、キリスト教の洗礼、ヒンドゥー教の沐浴、ユダヤ教のミクヴェ、北米先住民のスウェットロッジなど、世界各地には水や蒸気による清めの儀礼があります。このように、入浴や沐浴、蒸気浴は、宗教儀式や霊的実践と深く結びついてきたことが分かります。体の汚れを落とすことは、心を整え、神聖な状態へ近づくことでもあったのです。現代ではその宗教的な意味を意識する機会は少なくなりましたが、お風呂に入ると、さっぱりしたり、気分転換になったりします。こうした感覚は、古くから人々が大切にしてきた「身を清める」という文化の名残なのかもしれません。 山一 湯浴みセット https://www.shokunin.com/jp/yamaichi/yuami.html 参考資料 https://ja.wikipedia.org/wiki/仏説温室洗浴衆僧経 https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2019/02/20190201.html https://ja.wikipedia.org/wiki/光明皇后 https://ja.wikipedia.org/wiki/施浴 https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/201903/201903_02_jp.html https://ja.wikipedia.org/wiki/古代ローマの公衆浴場 https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/113169/lture-rock/113169/ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 【小樽ビール】 先日訪れた、小樽ビール銭函醸造所。醸造所見学の際、案内してくださったスタッフさんの言葉で、とても印象に残ったものがありました。それは「豊かさとは選べること」というもの。これまで多くのお酒に関する話題を発信してきましたが、昨今「お酒の話題はあまり興味がない」と感じる方も少なくないでしょう。しかし、たとえお酒を一切飲まなくても、豊かな暮らしを考えるうえで、この言葉は非常に大きな意味を持っています。 かつて日本のビール市場には、画一的な味の選択肢しか存在しない時代が長くありました。大手が製造していたビールのほとんどは、すっきりとしたのどごしが特徴の「ピルスナー(淡色ラガー)」。エールビールやヴァイスビア、スタウトといった、世界中に存在する多様なビールの味わいは、当時の一般的な市場にはほとんど流通していませんでした。そんな中、小樽ビールは1995年7月に、創業者である庄司昭夫氏により小樽運河沿いの倉庫群にある「小樽倉庫No.1」で産声をあげます。 小樽ビールの使命は、旧き良きドイツビールの文化を日本へ根付かせること。そこで、本当のドイツビールを作るために、1516年にドイツのバイエルン公ヴィルヘルム4世が公布し、16世紀半ばに酵母が加えられて現在の形となった「ビール純粋令」に基づき、麦芽、ホップ、水、酵母のみを使用した伝統的な醸造方法を採用しました。用いるレシピは、ブラウマイスターのヨハネス・ブラウン氏の家系に200年以上にわたって受け継がれるものなど、ドイツのビール文化そのものを体現しています。 原材料へのこだわりも徹底しており、使用する麦はドイツ南部の農家5軒に栽培方法を指定した完全なオーダーメイドです。現在、ドイツ国内でも農家に直接指示を出す醸造所はわずかしかない中、収穫量が減るリスクを負ってでも農薬や化学肥料を使わない有機栽培を貫くことで、野生に近い環境から力強いコクと風味を引き出しています。日本になかった「選ぶ自由」という文化を創り出すために、徹底して本物の質を追求する。これは極めて先進的で挑戦的な試みでした。 このような「選択肢を提供する」という姿勢は、ビールそのものだけに留まりません。レストランを運営している会社として、常に「普段使いのビールでありたい」との思いから、日常的に手の届きやすい低価格を意識している点も非常に印象的でした。どれほどすばらしい本物であっても、特別な日だけのものであっては、人々の日常に本当の豊かさとして根付かないからです。お酒を飲む人も、そして飲まない人も。私たちが本当に求めている「豊かさ」とは、与えられた何かだけを受け入れることではなく、自分の意思で自分の暮らしに合う「本物」を選び取れること。それが当たり前のように、手に届く場所にあることではないでしょうか。本物を届けるための挑戦の数々を目の当たりにし、私たちもこれからどのような価値をお客様に届けていくべきか、改めて深く考える機会となりました。 小樽ショールームから徒歩5分ほどの場所にある、小樽ビールのビアパブ「小樽倉庫No.1」では、まさに小樽ビールが創り出した「選べる豊かさ」を体験することができます。小樽ビールでは、レギュラービール3種類に加え、季節ごとの限定ビールを醸造しています。7月は旧東ドイツ伝統の黒ビール「シュヴァルツ」。1543年ごろ、ドイツ東部で初めて醸造されたシュヴァルツビールは、その栄養価の高さから、寒さの厳しい冬によく飲まれていました。エスプレッソのようなフレーバーとクリーミーな泡が特徴で、伝統的なものよりもやや軽快な口当たりは、小樽ビールの夏ビールとして多くの人々に愛されています。 その日の気持ちや季節に寄り添う多彩なビールから、今日の一杯を選んで味わう。かつて日本になかった、選ぶ自由と選ぶ豊かさ。それを日常の手が届く価格で届けるための真摯な挑戦の価値を、ぜひ現地で体感してみてはいかがでしょうか。 小樽ショールーム https://www.shokunin.com/jp/showroom/otaru.html 小樽ビール https://otarubeer.com/jp/ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 【ガラスの街・小樽】 JR小樽駅の天井を見上げると、窓の前にずらりと並ぶガラス製のランプ。ノスタルジックな印象を受けるガラスのランプは、その昔、小樽の夜を照らしていた灯りでした。いまや小樽のお土産の定番となったガラスですが、小樽が「ガラスの街」とも呼ばれるようになった背景には、19世紀後半以降の歴史が深く関わっています。 小樽のガラス産業が産声を上げたのは、街が大きな成長を見せ始めた19世紀後半です。経済の発展に伴って本州から一攫千金を狙う人々が急増し、街が爆発的に巨大化しました。当時はまだ電気が普及していなかったため、夜を照らす生活必需品として「石油ランプ」が大量に製造されます。この石油ランプこそが、当時の人々の暮らしや街を温かく照らす灯りであり、現代へと続く小樽のガラス工芸技術の原点となりました。 石油ランプの製造と並んで、小樽のガラス産業を支えたもう一つの柱が、ニシン漁で使用された「ガラス製の浮き玉(ブイ)」です。明治から大正にかけての小樽はニシン漁の最盛期を迎えており、漁網の目印として当時は木で製造されていた浮き玉を、安価で、軽く、加工しやすく、さらに海の色に溶け込むような透明感のあるガラスで製造することに成功。このガラスの浮き玉は吹きガラスの技法によって盛んに生産されるようになり、のちのガラス工芸へとつながる職人たちの技を磨き上げていきました。浮き玉は昭和22年には1056トンの製造量があったといわれていますが、実際はそれ以上だったとも考えられています。 しかしその後、電気の全国的な普及とニシン漁の衰退などで、石油ランプと浮き玉の需要は減少していきます。そうした時代の変化の中で、それまで実用性重視だったガラス製品を見直す動きが起こりました。実用的な道具から、日々の暮らしにぬくもりや安らぎを添えるデザイン性の高いものへ。作り方や使い方を少しずつ変えていくことで生活に溶け込み、市民や観光客の間でも広く親しまれるようになっていきました。かつて波間に浮かんでいた浮き玉も、その独特の風合いを生かしインテリアとしてお店のフロアに飾られたり、店先に吊るされたりして、新たなオブジェとして生まれ変わりました。時代の荒波を乗り越え、人々に愛される工芸品へと姿を変えたことで、いつしか「小樽といえばガラス」というイメージが定着。ガラス製品は、この街の文化として深く根付いていくこととなり、今では歴史を牽引してきた大きな老舗だけではなく、個人のガラス工房やスタジオも設立され、それぞれの職人が独自の感性で制作を行っています。 では、かつての石油ランプの光はどんな色をしていたのでしょう。その灯りを体感できる場所が街に残されています。明治時代に建てられた木骨石張(もっこついしばり)の倉庫を利用した「北一硝子三号館」の喫茶ホールは、石油ランプだけが灯る幻想的な空間。かつて小樽の夜を支えた灯りの温もりを今に伝えています。また、小樽ショールームから徒歩15分の距離にある深川硝子工芸では、伝統的な「吹きガラス」の技術や工程を作業場の上から自由に見学できる工場見学コースがあります。コースの3階廊下にはガラスの製造過程について詳しく図解されていて、窓から1階の作業場を覗き込むと距離があるにもかかわらず、現場の熱気がこちらまで伝わってくるようです。 街を照らすランプと、海を舞台にした漁業用の浮き玉から始まった小樽のガラス。かつての灯りを体感し、職人たちの息吹を感じる工場を巡る。そんな小樽のガラスの歴史を辿る旅の締めくくりに、ぜひ小樽ショールームへもお立ち寄りいただき、日本の手仕事の美しさをお手に取ってご覧になってみてください。 小樽ショールーム https://www.shokunin.com/jp/showroom/otaru.html 北一硝子 https://kitaichiglass.co.jp/ 深川硝子工芸 https://fukagawaglass.co.jp/about/ キムグラスデザイン https://www.kimglassdesign.jp/ ストアハウス大坂屋 https://maps.app.goo.gl/a5zGsieJZemeiGxt6 参考資料 https://hokkaidofan.com/glass/ https://www.ana.co.jp/travelandlife/article/002105/ https://growing-art.mainichi.co.jp/retronobi_20211107/ https://otaru.gr.jp/guidemap/glass-otaru https://asaharaglass.com/glassukidama/ |
編集後記 こんばんは。職人.com運営者の櫻井です。 夏真っ盛りですね。いかがお過ごしでしょうか? 今月は、実は半年間準備したサーバーの移転がありました。連日、朝早くから深夜、時には明け方までかかり、プログラムの修正を重ね、なんとかエラーのない形で終えることができました。この達成感といったらありませんでした。 見た目は全く変わりませんが、裏側の仕組みは大きく進化したというか、現代の基準にアップデートされたという感じです。20年以上、共に歩んでいるオリジナルシステムなので、とても愛情を感じます。 そんな中、久しぶりに新ブランドが加わりました。魔除けやお守りとしてもおすすめな鬼瓦ペーパーウェイトは、残念ながら生産終了とのことでしたので、ぜひとも再生産をご検討いただけるように、メーカー在庫をすべて買い取りました。 簡易版鬼瓦とも言える「睨み顔」と、眺めているだけで思わず笑みがこぼれてしまう「笑顔」。ぜひお早めにご検討くださいませ。各地ショールームでもご覧いただけます(※銀座ショールームなど、臨時休業日をご覧ください)。 それでは来月もどうぞよろしくお願いいたします。 こちらのメールマガジンは、商品お買い上げの際などにご登録いただいた方に定期的にお送りしております。 配信解除はこちらをワンクリックしていただきますようお願いいたします。メールマガジンのアドレス変更・再登録はこちらから。 職人.com株式会社 〒602-8423 京都府京都市上京区藤木町795-2 075-415-0023 https://www.shokunin.com/ |
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