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祖父と父はニ代で仏壇の錺(かざ)り金具職人をしていました。
祖父が京都で修行し、地元滋賀で仕事を始めました。父はその後を継ぎましたが、時代が進むにつれ仏壇業界は衰退し、仕事量は減少して行きました。そんな状況だったので父も私に家業を継ぐ事を勧めることも無く、私自身も継ぐつもりは無かったのです。
だから名古屋の大学に進学し、生物・化学を学び地元の樹脂加工会社に就職しました。
就職して三年、不景気による業績不振・リストラで肩叩きをされる先輩の様を見てこのままこの会社に居ても先が見えないと思うようになりました。
その様な中でふと家業に目を向けると、何百本もの鏨(たがね)を使い分け、全て手作業で一枚の板金を色々な製品に仕上げて行く技術。日本古来の伝統的技術とはいえ仕事量が減りこの技術では食べて行けなくなった職人の減少、高齢化。そんな現状を知りました。
廃れさせるにはあまりにもったいない技術。一度途絶えると、この何百本もの鏨の使い方は誰にも分らなくなりニ度と復活する事はないだろうと思いました。どうせ先の見えない職であるなら、リストラにおびえて働くより希少となった技術を身につけ自分の力で何かしてみよう。それで駄目ならまた考えれば良い。と会社を退職し父に教えを請いました。両親とも心のそこでは私と同じく無くすには惜しい技術と思っていたようで喜んだ様子でした。 |